日々雑感52「人間依存症」

 普通の生き物は周りのいろいろなものに自然体で依存し合っている。だが、人間は人間に依存しがちだ。もちろん人間も周りのいろいろなものに依存しているが、できることならその関係から抜け出したいと思っているかの如き振る舞いをしているように見える。いかにペットをかわいがっていようが、基本的に人間は人間しか見ていないかのようだ。
 動物も、食用動物か、愛玩動物かの扱いを人間から受けるぐらいのものだ。学者以外はほとんど動物としては見てはくれない。食用動物は、文字どおり食い物だ。愛玩動物は擬人化され、家族の一員となる。これも人間が人間しか見ていないことの裏返しだ。
 「好きな動物は?」と聞かれて、「牛(うし)」と答える人は少ないと思うが、牛と遊ぶことが好きなのか、それとも牛を食べることが好きなのか、どちらを答えるべきか本来は分からないはずだ。それにもかかわらず、「牛(うし)」と聞いたら、食べるとは思わないのが普通の感覚だ。ただ「好きな肉は?」と聞かれたら「牛(ぎゅう)」と答える人が多いのだろうが、このときに「牛(うし)」と答える人は少ないだろう。ところが、豚が好きな人も、豚肉が好きな人も、同じく「豚(ぶた)」と答える。「豚(とん)」とは答えない。こうした言語感覚により、「牛肉(あくまでも「ぎゅうにく」であって「うしにく」ではない)」は「牛(うし)」とは別格のものと感じるようになり、「豚肉(ぶたにく)」は「豚(ぶた)」と同格のままで、より身近なものと感じるようになったかもしれない。もちろん、実はこの因果関係が逆で、牛や豚の肉に対する人間の現実の感覚の差が先で、高級感の別を音訓の別で区別するという言語感覚の方が後なのかもしれない。音読みは訓読みよりも舶来のものだから、高級感を表現するのに適しているということだ。
 仏教思想で基本的には四つ足の動物を食べてはいけなかった日本人、特に農作業をともにしたパートナーとしての牛(役牛)を食べるに忍びず、その肉を隠語風に牛(ぎゅう)と呼んだのかもしれない。肉牛の飼育に伴って次第に仲間としての意識が低下したのだろうか。それにしても、役牛だの肉牛だの恐ろしい言葉だ。役人(労働者)、肉人(肥満人?)というのと同じだ……。
  それに対して、豚はあまり農作業をともにするということもなく、肉として食われるために存在する生き物だ。だから、好きな肉はと聞かれても、何の心理的抵抗もなく「豚(ぶた)」と言えるのかもしれない。もちろん現代人の僕たちは、それを単に受け継いでいるだけだから、意識を探られても、何も出てこない。ただし、近年豚をペットとして飼うという風潮が出始めたので、やはり人間視されて擬人化されている豚も存在するようになったとは言える。これが広まって深く浸透すれば、豚肉を「豚(とん)」と呼ぶようになるかもしれない。牛(うし)を食べるのではなく、あくまでも牛(ぎゅう)を食べるのだという言い訳のようなものが、パートナーの一種としてペット化した豚(ぶた)に対してもなされると思うからだ。
  さて、人間がいつも気にしていることは何か。人間関係にまつわるもの、友情や愛情だ。これに執着し、維持するために、真実が曲げられることすらある。こうしたものに執着するのは、仲間で生きる動物だから仕方ないともいえる。また、人間がここまで歴史を築きあげるまでに、友情や愛情を大切にせざるを得なかったという背景もあるのだろう。
 だが、ここから先はどうか。こうして人間が人間に執着して内側を向いている間に、人間の周りでいろいろなことが起こっている。いつまでも人間ばかり見ていてはいけない時代が既に訪れていると思うのだ。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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日々雑感52「人間依存症」 への4件のフィードバック

  1. ひぃ^^^ より:

    ひぃも。。。かなり依存的です(=_=;) 最近気づいた悪い癖。それまでココに気づかずに「自立心旺盛」って思い込んでいた自分が情けない。。。依存されるほうもたまったもんじゃないよなぁ。。。あぁ自己嫌悪。

  2. どこにいるの? より:

     「実際にはいろいろなものに依存していること」が意識されていれば、バランス感覚のとれた「ものの見方」になっていくのだと思う。 ひーさんも気づいた時点でOK。でも、依存することは悪いことではないよ。合理的に依存し合うということが、大事なのであって、自立しているということは本当はそういうことなんだと思う。自己嫌悪の必要なし。 ただし、今回は、「他人」に依存するという個人的な「依存」の形態を話題にしていたのではなく、人間全体が何に対してどういう理由でどのようにどの程度依存しているのかを、謙虚に見つめ直そうということが話題の中心なんだけどね。

  3. ひぃ^^^ より:

    共存ではないの?依存なの?共生とか。。。イソギンチャクとクマノミみたく。。。でも、人間はうまく共生できないもんな。感情と気分がある以上。。。難解だ。。。うー。。。深い。深海魚が住めるくらい、深い。

  4. どこにいるの? より:

    共生は共に生きる。だから、協力関係がある。協力といっても無意識の協力も含んでいる。共存は共にある。だから、協力関係がある場合とない場合がある。つまり、共存のあり方の一つに共生がある。共生は、協力関係がある以上、依存し合っていると言える。

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