日々雑感108「ぐにゅぐにゅ」

 昔話など書こうなんてどうして思い立ったのだろう。
 昔話にはお父さんやお母さんはなかなか出てこない。多分子供にお話を聞かせるとき、自分たちを登場させるよりも、お爺さんやお婆さんを登場させて間接的に活躍させたり語らせたりする方が、やりやすいからだろう。
 また、話に矛盾や飛躍があっても、「それはお爺さんお婆さんのやったことだから分からないなあ。」とか、「お爺さんお婆さんの時代のことだから……。」といって、子供の質問や追究をかわすこともできるし、「それはどうしてだろうねえ。」と子供に「考えるトレーニング」をさせることもできる。
 お爺さんお婆さんの話だから、主人公を暗にお父さんやお母さんにダブらせている可能性もある。あるいは、お父さんやお母さんは仕事で忙しく、昔話に登場する余裕すらないという背景があった可能性もある。また、子供が成長して孫に昔話を語るとき、孫からすれば、自分たちがお爺さんお婆さんになるので、子供がまだ子供のうちにお爺さんお婆さんの登場する昔話を作って話しておけば都合がよいということもある。
 つまり、子供も孫に同じ話をする可能性が高いので、変な言い方をすれば三十年ほど見越して先に洗脳しておくということだ。こうすることで、孫はお爺さんお婆さんが本当は大活躍するような人物でしかも知恵があって、優しい人物だという思い込みをするようになる。
 こうしておけば親子の関係がうまくいかなくなった時にも、お爺さんお婆さんが孫に言うことを聞かせることができるという素地を作っておくという作戦だ。二世代から受ける指導の陰陽が孫を人間らしい精神構造にしていくと言っては言い過ぎだろうか。
 これが昔の家庭教育の柱だった可能性は高いのではないか。これをわけのわからない絵本にかえることはできない。楽しくはあっても、そして絵が綺麗であっても、三代にわたる家庭教育の構造の代わりにはならないと思う。
 さて、昔話はもしかすると、本当にお爺さんとお婆さんしかいないのかもしれない。お父さんとお母さんは出稼ぎか死亡した可能性がある。寂しがる子にお爺さんかお婆さんが昔話を聞かせるのだ。
 それはともかく、自分と自分の子供に合った昔話を用意して語れたら、どんなにすばらしいだろうか。実際にそういう思いをこれまでもったことはなかったけれど、僕が小さな孫であった時代から、無意識の世界では、労力の計算を無視した恐ろしい計画がオートマチックに進んできたらしい。過去の家庭教育の成果とはいえ、恐ろしいことだ。
 昔話をつくるには、どのような注意が必要なのだろう。思い入れが強くにじみ出てしまい、押しつけがましいものになってしまっては、子供向けの昔話としては失敗だろう。しかし、思春期になれば、逆にそれが引き金となって、思索の道筋が形成されていくかもしれない。
 当面は、さりげない話で、しかも心に残る話を完成させることができたら最高だと思う。しかし、それは催眠話とでも言っていいようなサブリミナル効果をもつ昔話になる可能性があるので気をつけなければならない。もっとも、そんな子供向けの文章を書く力はないから大丈夫だ。
 もちろん書いているうちに作文力がつく可能性はある。しかし、子供の方も成長するから、子供だましは通用しなくなっていくはずだ。だから、やはり大丈夫だ。
 心配なのは、次第に硬直してくる自分自身の発想パターンだ。一度ぐにゅぐにゅにもみほぐして、再構築する必要があると思う。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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日々雑感108「ぐにゅぐにゅ」 への5件のフィードバック

  1. 祥子 より:

    わぁ、お話作ってらっしゃるんですか?
    なんだかすごく含蓄のあるお話になりそう・・・♪

  2. ひぃ^^^ より:

    インドのシヴァ神のように
    破壊と創造は紙一重って感じですかね?
     
    神だけにカミ一重。 Σ(゚Д゚)ガーン。。。
     
     

  3. どこにいるの? より:

    さちさんへつくっているといっても、今のところカテゴリーの「創作昔話」のところに書いてあるだけのものだよ。老化防止のために普段使ってない脳みそを使おうというのが動機だな、やっぱり。

  4. どこにいるの? より:

    ひさんへ「八戒と僧正、咬み人餌」をもじって「破壊と創造、紙一重」となった。これはもともと三蔵法師に対する猪八戒のクーデターだった。しかし、悟空と悟浄が黙っているはずがない。そもそも猪八戒の才覚だけではなしえない。つまり、実行犯が猪八戒で、悟空と、悟浄が黒幕になっている可能性がある。では、教典を持ち帰ったのは、悟空の体毛より成り立つ偽物の三蔵か。そうなると教典自体も怪しい。悟浄あたりが捏造したものかもしれない。いやいや、それにしてはずいぶんな努力だ。してみると、このクーデターは善意に基づくものであったかもしれない。つまり、三蔵のご乱心だ。そうなると、教典の持ち帰りは残った部下による偉業となる。

  5. hyee より:

    ぎゃはは(笑
    オヤジギャグ炸裂(笑
    ソコから物語への移行、お見事(パチパチ
     

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