変な疑問30「グーピーパーとグーチョキパー」



 グーピーパーとは何だろう。これはジャンケンの手の形を表す言葉だ。グーチョキパーが一般的なのに対して、グーピーパーという言い方もある。グーチョキバーは一般的な言い方だから、共通語に所属する言葉遣いということになる。しかし、だからといって標準的な言い方と言っていいかどうかはわからない。基本的には子どもの遊びについて回る程度の表現に、標準語という網はかからない。大人も使うけれど、大人の言葉の仲間には入っていないと考えるのが普通だ。これは、車をブーと言うような、赤ちゃん言葉に標準語という考え方が不適切なのとほぼ同様に考えていいと思う。
 ところで、お湯がブーで、車がブーで、豚がブーは一般的な赤ちゃん言葉なのだろうか。家庭によってブーブーと重ねて他と区別するような工夫(成り行き?)もあるかもしれない。また、そうしたことが許される程度の言葉なのだ。それは、使用期間が極めて短い上に、基本的には親と子の間でしか使わないという特殊な言葉だからだ。つまり、便宜的な言葉だからだ。
 しかし、ジャンケンは幼児期に始まり、老人まで使う。そこが赤ちゃん言葉とは異なる点だ。しかも、ジャンケンには極めて強い社会性がある。たとえば、延長戦が延々続き、最後はジャンケンで勝負を決める場合がある。このジャンケンの結果によって人生が変わるきっかけが訪れる人も出てくる可能性がある。
 ここまでジャンケンが支配するのは、ジャンケンの持つ即決性、公平性、経済性の力であろう。もっと言うと、すぐに結論を出さねばならぬ事柄で、論議を尽くしても埒があかない場合がある。そう言うときの救い神としてジャンケンは崇拝されてきた経緯があるかもしれない。ジャンケンがなければ、力関係で物事が決まってしまう。民主主義社会のほころびを繕う最終兵器かもしれない。ジャンケンの土俵に上がることを拒むものがいたら、まだ論議の余地があるとする正統派か、「ある力による」勝負に持ち込みたい悪党だ。彼らは、論議は形式上の付き合いと考えているから、子供だましのジャンケンによる決着には我慢がならないのだ。
 どういう場合に使うにしても、大人も使うとなると、ジャンケンに使用する言葉は、標準的なものが求められても不思議ではない。
 特定の範囲で使用されている言葉がいつのまにか全国的に共通の言葉となって、最終的に標準の言葉として認定されることもある。現代日本語が創成される過程では当然の手続きだったことが、今では少し違った状況の中で展開していくようだ。マスメディアの性質と役割の変化によって、伝達するものを選択する基準も変化するからだろう。
 だから、ジャンケンがマスコミュニケーションの過程でどう扱われるかによって、「グーピーパー」と統一されていくか、「グーチョキパー」と統一されていくか、あるいは取り扱われないか、また、ジャンケン的に特殊地域の特別の表現を発掘してみせるか、さらに、それを浸透させて先の二つの言い方と肩を並ばせるか、あるいは駆逐するか等が決まっていく。
 ある視点に立つと混沌状態にあると捉えられるものがある。それを整理整頓する。整理するということは分類するということだ。整理してからきちんと体よく整頓することが無駄なスペースや無駄な時間を生み出さないためには重要だ。
 整理するには方針がなければならない。方針を得るには方針の背景となるものの考え方が決まっていなければならない。ものの考え方を定めるには、ものの見方が土台としてなければならない。
 すると、現代日本語の場合、その創成の土台にあったはずのものの見方とはいったい何だったのだろう。そのものの見方にも表と裏があったはずだし、予期せぬ側面も持っていたはずだ。そんなものはともかく、強引に整理して、それを現代日本語として普及させるのは国家の一大事業であったに違いない。普及には時間が必要で、その方法も言葉であるがゆえにさまざまあったと思う。もちろん普及の成功した部分と成功しなかった部分があり、それぞれがそれぞれの役割を果たしていくという合理性を示しつつある。
 あまりに卑近で幼児性という側面を持つジャンケンは、標準語化の網にかかっていない。つまり、統一する必要がないのだ。従って、話題にならない。不統一でも「グー」と「パー」は一致しているのだから、不便はない。
 「おや、あなたの地方ではピーというのですか。」「どうしてチョキなのですか?」「ほらハサミの形でしょ。」「なるほどチョキチョキ切るからですね。では、グーとパーは何の音なんですか?」「ピストルの形だからピーなのかなあ。」「そう言えば、人差し指と親指を出す人がいますね。あれは確かにピストルのイメージだ。あれがハサミなら長さがちぐはぐで何も切れないからな。」「しかし、ピストルの弾はピーという音ではないな。バーンだ。」「そもそもあれは音なのか?グーは石だろ。」「そうか、指の力の込め具合だ。」「なるほど、指をぐっとにぎる。指をぴっと出す。指をぱっと開く。」「すると、グーピーパーのほうが正統派か?」「そう言えば、昔グーチョキパーというホームドラマがあったな。あれで全国にグーチョキパーが広まったかもしれないぞ。」「子どもは吸収が早いからな。」「でも、ジャンケンを教えるのは親だとかおじいちゃんおばあちゃんだから、結局昔ながらの言い方で収まるはずだ。」「無駄な宣伝効果だったというわけだ。」「ああ、無意識の宣伝だ。」「かもな。何を無意識に宣伝していたんだろう。」どこまで会話を続けることができるかで、洞察力というより想像力の程度が知れる。
 ジャンケンの前置きに「最初はグー」と唱えなかった地域も、いつの間にか「最初はグー」と唱える儀式を行うようになった。最近は「最初はシーサー」という唱え文句を前置きするジャンケンの場面をTVで見かけることがある。
 最初この唱え文句は不要のものであったが、それが広がるということは、必要なものとなったと考えると面白い。また、最初は必要だったのが、一度不要になり、再度また別の理由で必要になったと仮定するのも面白い。

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