変な疑問31「健康や平和」

 正常なときに異常の原因を作っているのだから、その正常は正確に言うと正常ではないとも言える。しかし、そのように言うと、正常なものがほとんどなくなってしまうから、異常の原因をつくってはいても、一応は正常と言っている。
 同じように、健康なときに不健康の原因を作っているのだが、それでも健康と言っているし、平和なときに動乱の原因を作っているのだが、やはり平和と言っている。こうしたことに少し言葉の使用上の矛盾を感じている人は、健康的とか、比較的健康とか、今のところ健康とか言って、少しでも正確に表現しようとする。
 健康という言葉がある。しかし、その言葉が、ある状況を表現する段階で「僕は健康だ」とか、「彼は健康そのもの」のように使用されたとしても、あくまでもレトリックであるという暗黙の了解があるはずなのだ。
 ところが、これが言葉どおりだと「勘違い」したり、あるいは「思い込みたい」のは、正常であってほしい、健康であってほしい、平和であってほしいという願望が僕たちの中にあるからだろう。「勘違い」は無邪気ゆえに罪深く、危険度が高い。「思い込みたい」は無責任ゆえに罪深く、危険度が高い。どちらにしても深刻だ。
 では、逆のとらえ方をしてみれば、救われるのだろうか。正常だと一般的に言われている状態ならば、それは見かけだけの話だと考えてみる。医者に現在健康だといわれたら、今後は不健康かもしれないと考えてみる。みんなが平和だと言うときには、いや待て、動乱につながるうねりが見えないかと疑ってみる。これでは自分の存在は救われても、心が救われない。
 そうか。心を安泰にしようとするあまり、現実をとらえそこねてしまう愚を自戒すればよいのか。心は大事なものだけれど、どうして心が人間に必要だったかを考えると、心を安泰にする方法を誤ることはできない。無知ゆえの勘違い、臆病であるがゆえの思い込みたい気持ちなど許されないのだ。もちろん、それは個人の問題でしょうと言って、個人の問題がその周囲の個人や所属する団体に大きな影響を与えてしまうということを計算に入れたがらない今時珍しい人もいないわけではない。
 ところで、目の前の問題には立ち向かうが、健康や平和などの土台にかかわる問題には立ち向かいにくいのはなぜだろう。

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