突然思い出したこと42「ブリキのハート」

 夜三時を越えている。突然起きたのは鬱病なのか。それとも、いつもより早く寝てしまったせいか。とにかく提出書類の夢を見て目覚めたのだから、気分は良くない。しかし、気分なので、結局は気のせいなのだ。
 そんなとき、頭の中にいろいろなことが泡ぶくのように浮かび上がってくる。これが雑念になって鬱陶しいから、文章に書き留め、忘れることにしている。僕のブログはゴミ箱機能ももっているらしい。今回は、なぜか読んだこともない『オズの魔法使い』のことを突然思い出した。
 ドロシー率いる「ハートのない木こりのブリキ男」「脳みそのないかかし」「臆病なライオン」は、鉱物、植物、動物の化身なのだろうか。人間とかかわることで運命が変化していくところなど、穿った見方かもしれないが、何やら象徴的だ。そして、なぜか「ブリキ男」が特に気になる。
 「ブリキ男」が木こりなのは、「金→木」と五行説めいて面白い。山の中でただ木を切り続ける単純できつい労働に徹するうち、人とのつながりも薄れ、ハートをなくしてしまった男(ハートを忘れてしまった男?)が「ブリキ男」なのかもしれないなどと考えるとまた面白い。機械のようにただひたすらに働くだけの男をブリキ製の男と見立てたのなら、それは象徴的というより、わかりやすい比喩だ。わかりやすいだけに悲しい金属音のため息すら聞こえてきそうだ。
 これはコンクリートのビルの一部と化し、ただひたすらに働き続ける男がハートをなくしていくのに似ている。現代版なら、「コンクリート男」か。彼はハートが欠如(衰弱?)しているため一見クールに見える。これはクールというスマートなものではなく、肝心のハートが摩耗して神経が麻痺してしまった救われるべき存在なのだ。これは、真にクールで粋な男と区別しなければならない。
 では、救われるにはどうすればよいのか。とりあえず行動することだろう。自分を解放するためにさまざまな体験を積むことが必要だと思う。旅(たとえ観光旅行でもいい)をして、労働という日常から自分を解放し、自分という存在を見つめ直す作業が必要なのだ。
 いたるところに「ブリキ男」がいる。でも、ドロシーはどこだ。少子化で少女不足なのかもしれないが、もうブリキ製のハートではごまかせない時代なのだ。いや、ごまかすしかない時代かもしれない。
 さて、『オズの魔法使い』をよんでみようか。読む暇はないので、呼ぶしかないのだが・・・・・・。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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突然思い出したこと42「ブリキのハート」 への2件のフィードバック

  1. みどり より:

    「読む暇はないので、呼ぶしかないのだが・・・・・・。」
    素敵です。
    ここに来るとほっとするのは、
    きっとこの感じがどのコメントにもあるからです。
     

  2. どこにいるの? より:

    「呼んで」と「読んで」のつまらない落ちに反応していただいてありがとう。ない知恵絞ってまた考えようという気になったよ。

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