突然思い出したこと45「観光地」

 観光地。人々はなぜ訪れる。観光地に住む人々は、観光客を歓迎する。でも、こんな所に来てまでお金を使う気が知れないと、心のどこかで思ってはいないだろうか。
 観光資源で生計をたてているからには、当然「ここはすばらしいところですよ」「ようこそいらっしゃいました」と笑顔で迎える。観光地化してしまったと嘆く種類の人々は、おそらくこうした挨拶がたまらなく気に触るのだろう。
 今いるところを離れたいだけなのだ。でも、それでは角が立つ。目的地を明言すれば合法化(?)される。要は、自然であれ、テーマパークであれ、かまわない。万人にしれている土地の名前が必要なのだ。
 虚飾の土地、観光地。これは重要な土地だ。気持ちをリセットしてリフレッシュし、再び日常生活に立ち向かうには、どうしても必要な土地なのだ。だから、施設に不満があろうが、イベントが気に入らなかろうが関係ない。今いるところから合法的に離れることができさえすれ目的は達成できるのだ。
 逆に不満が残ればなおのことよい。次の出発の合法的理由がさらに強化されるからだ。そうなると、観光地も最初からパーフェクトをねらわずに、少しずつ変化させることを計算に入れた上で運営していくことを考えた方がよい。リピーターと新規の客が両方望めるのだ。時代と人の気持ちを読み損ねると、両方とも失うことになる。
 そうした小手先の運営を必要としない、インパクトのある自然風景を観光資源としているところは強い。しかし、日本の場合は規模が小さいので、どうしても情緒を味わうという方向に向かうことになる。誰が住んでいたとか、昔は位が高かったとか、有名文学作品の舞台となったとか、歴史の転換期の舞台であったとか、そうした懐古趣味、文学趣味、歴史趣味の世界に頼らざるを得ないところが多い。
 何の懐古趣味も、文学趣味も、歴史趣味も持ち合わせない人々を運搬するのは、観光ツアーと呼んではいけないのではないだろうか。せめて、その入り口に案内してくれる現地のガイドさんをつけてくれる良心的なツアーをくまねばいけない。それでなくては運送業となってしまう。
 しかし、ガイドさんがついていても、そのレベルも様々だ。学生アルバイトで、マニュアル本の丸暗記程度の知識で対応するレベルの場合は若くて、健気で、さわやかだが、満足度は低くなる。しかし、郷土研究者のレベルのガイドさんの場合、安心して質問することができる。わからなければ、また調査しておきましょうということになる。実に頼もしい。だが、返答をいただくチャンスはない。それでも、それでいいのだ。
 滅多に観光旅行に行かない僕だが、数年ぶりに出かけてみようかと思う。こだわりはない。どんなコースでもどんなレベルでもよい。それなりの楽しみ方はできるものだ。

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どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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