突然思い出したこと51「目と耳」

 「目が輝く」という言葉がある。文字通り目が輝くのだ。ふだんよりも目が大きく見開かれるから、光が反射する面積が大きくなるからだ。しかし、それだけではない。眼球がきびきびと動いて対象物を追うから、反射する光が変化して見え、実際にきらきら輝いているように見えるのだ。輝く理由はまだある。輝く目は他人の目も頻繁に見てコンタクトをとろうとする。輝く目で行動する人の言動は周囲に人を集める力を持っている。ところが、そのことが輝く目で行動する人の気持ちをまた高ぶらせるはずだ。気持ちが高ぶると、瞳孔が散く。瞳孔が開けば、ますます目が輝いているように見えるのだ。
 きらきら輝くのは、その次の段階のらんらんと輝く前兆で、その気配を感じるとらせるほどの輝きは、日常生活では自粛した方が都合がよいだろう。自粛するには知性が要る。しかし、意図的にその気配を感じ取らせることが必要な場合もあろう。もちろん通常は沈着冷静に行動していることが条件だが。
 「耳を傾ける」という言葉がある。文字通り耳を傾けるのだ。かすかな音を聞くときは、少しでも耳を近づけようとして、きき耳の方を前に出す。かすかな音は通常は下から聞こえることが多い。人の小声をしっかり聴こうとするなら、耳より少し下の口の位置から聞こえるから、耳を下の方に向ける。目で見るのでない。目で見る意味には次の意味も含まれている。見比べる、にらむ、チャンスをうかがう。しかし、耳を傾けると、こうした意味も含む可能性のある目の働きはオマケの存在になる。目は怖い存在だが、耳はどちらかというと滑稽な存在だ。ひたすら受け身の造形だ。滑稽なまでに受け身なのだ。しかし、目がわずか数センチ横に控えている。これでバランスがとれているのだ。
 目だけのお化けは怖いが、耳だけのお化けは面白いのだ。そこまでいかなくても、目がおにぎりぐらいある化け物と耳が団扇ほどある化け物がいたとする。どちらと戦うか。たぶん僕は躊躇することなく、耳お化けを選ぶだろう。
 もし、自分にとって天敵のような人がいて、苦手意識を持っている場合、その耳だけを意識して見る、それでは失礼だから、一度見た耳を頭に思い描くようにしたらどうだろう。たちまち、滑稽さによって苦手意識が解消するに違いない。しかし、耳が髪の毛で覆われている場合はどうだ。耳の情報がないから、目に目がいってしまい、眼力でいすくめられるということになりかねない。すると、耳を何かで覆って隠すのは、情報を与えぬ防衛努力とも言えるし、眼力を強調するための攻撃努力とも言えるかもしれない。
 しかし、髪型といういいわけによって耳を隠す行為をカムフラージュする者とか、帽子で不自然に耳を隠す者とか、そんな見方で人間を見るのは、うがち過ぎてそれこそ滑稽だ。もっと素直に、さわやかに暮らさなくては・・・・・・。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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