突然思い出したこと53「馬鹿と耄碌」

 馬鹿という言葉の由来は諸説ある。各社の国語辞典もそれぞれの説の一つあるいはいくつかを並べているだけで、結局本当のことは分からない。しかし、その由来自体は分からなくても困ることなどほとんどない。
 ところが、たとえ分からなくても、分からないことをそのままにしておくのをよしとしないという姿勢はもっていなければ面白くない。分からないことよりも、どちらかといえば、それが気にならないという姿勢のほうが困るのだ。
 それが気にならないという姿勢は、本人自体は困らないかもしれないけれど、その姿勢がうみだすところのさまざまな家庭生活や社会生活の諸問題を、周囲の人々が意識的に、あるいは無意識のうちに処理している可能性が高いのだ。つまり、迷惑をかけていないつもりでも実は迷惑をかけていることが、それが気にならない人よりもおそらく多いのだ。
 本人はのほほんとしていて、周りが気を遣うというパターンだ。僕自信がそうらしい。悪気はないのだが、後で気づくのだ。仕方ないから、気づくだけましかもしれないと慰めてみる。
 これに本人がいっこうに気づかず、逆に周囲を非難している愚行を見る場合すらある。僕も含めて馬鹿者がたくさんいるというわけだ。こうした事態が減れば、よけいなエネルギーを消費しなくてもいい、ストレスが比較的少ない時代がくるかもしれない。
 ところで、馬鹿とは何か。音読みだと「ばろく」だ。BM交換で「まろく」。中国語の発音では「まろく」に近い。これがどうにも「もうろく」にきこえるのだ。年をとってだめになる。役に立たない。つまり、「馬鹿」なのだ。しかし、「まろく」は中国で言うところの鹿の仲間で、動物のことだから、だめな状態、役に立たない状態を表現している言葉とは言えない。
 ここからは単なる想像だ。日本人が「馬鹿」という言葉をだめな状態、役に立たない状態というのを中国人が知っていて、それを中国読みしていたという状況があったのではないかと想像するのだ。それを日本人が「もうろく」と聞き取って、そのうちいわゆる「馬鹿」という意味とは別の言葉、つまり、少し意味を限定して、年を取って役に立たなくなった状態を表す言葉として使うようになったと想像してみた。これを検証するすべも能力も少なくとも僕にはない。 
 さて、人間誰でも年をとり、体の働きが衰え、だめになっていく。だから、子どもを産んで育てる。そして、バトンタッチだ。生きる虚無感はこれで解消する。親となったとき、人は何で生きるのかとかいう思いは消え去る。そのかわり、いかに生きるか自問自答するステップにはいる。ステップというと登る感じがするけれど、そんな実感はない。強いて言えばモードが変わったという程度かなあ。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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