突然思い出したこと54「百科事典」

 どうして百科事典は百科なのだろう。百科の百は、NDCの10×10で百なのか。しかし、NDCなら10でもいいし、1000でもいい。しかし、百貨店という言い方がある。また、百も承知だという言い方もある。この場合の百は、単に「十分だ」「たくさんだ」という意味になる。でも、百科事典の百がそれと同じ意味だとは限らない。他にも、妖怪百物語、百人一首、百人組み手、百叩き、百貫・・・・・・。たいていのテストも満点は100点だ。
 この百という数字の持ち出して表現しようという感覚は、人の寿命と関係があるかもしれない。寿命が、100年という区切りをめざしているかのように見えるということだ。
 また、百という数字自体から受けとる感じには変化がある。10なら十分の10だから、それでいいはずなのだが、あまりにそれが多用されると、十分だとう特別の感覚が、次第に慣れて、普通の感覚になってしまう。そこで、次に百としてみると、それが新たな衝撃となって刺激となり、特別の感覚になる。その時点では、次の1000がいかにも大げさに感じられる。
 次に、10と1000の中をとって、百あたりがおさまりどころとなるという意味での妙なバランス感覚もある。実際には10と100と1000とでは程度の差が文字通り桁違いなのだが、「中をとって」などと見た目の桁数のせいでごまかされてしまうのが面白い。
 このように百という数字の感覚的なものは、いくつかある。だが、これらはあくまでも感覚的なもので、人によってぶれがある。差を求めたりはしないので、排他的にならない限り、ぶれていても問題があるわけではない。どちらかというとぶれていた方が対話が進み、好ましい関係を作ることができる。
 が、ここはひとつ、NDCの100に見立てておこう。その方がいくらか学問的なので、百科事典というものにふさわしい。これも僕が持っている感覚にすぎないのだけれど、軽く扱われている分野やこれから切り開かれる分野をあぶり出すことができるので、都合がよいのだ。

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どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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