日々雑感141「触れてはならぬもの」

 秋祭りだ。季節の祭りは、春祭り、夏祭り、秋祭りと年に三回ある。冬祭りという言い方はない。
 春祭りで収穫を祈り、秋祭りで収穫を感謝する。農業にかかわる祭りだろう。農業従事者が減り、本来の祈りや感謝の気持ちをあらわすという目的がなくなって祭りが形式的になると、人が集まることによって生まれた屋台や人を集める目的で利用されたアトラクションが取り残されてしまった。しかし、伝統文化を守るという発想で祭りは予算化され、行事として継続するので、なくならない。すると、そこ逆転現象が起きて、屋台やアトラクションが中心となっていく。これで祭りの意義はかわりつつも祭り自体は維持されることになる。つまり、人が集まるのだ。本末転倒だが、それが自然の流れだ。
 しかし、夏祭りはあまり農業とは関係がなさそうだ。もしあるとすれば、作物の生長を願うとか、そのために台風がこないように願うとかだろう。本来は、病魔払いらしい。またお盆で、しかも敗戦記念日があるから、鎮魂の祭りというということなのだが、やはり逆転現象が起きて、意識のうえでは屋台やアトラクションがメインになっているのが現状だ。戦後六十年以上経っているから、後三十年もすればさらに一世代分加わり、戦没者への気持ちも激減するはずだ。もちろんその間、日本が戦争にかかわらないということが前提だが。
 どちらにしても祭りは人が集まる。そこで集客という意味で商店街も祭りに関係してくる。経済の仕組みにかかわることで祭りは維持継続しているとも言える。
 しかし、全くそうしたものとは無縁の祭りも残っているに違いない。古い形の祭りが、目立たず秘めやかに執り行われるのだ。そこに敢えて光を当ててはならない。その祭りはその祭りだけの力で続けられているはずなのだ。
 知られてはいけない。知られても口に出されてはいけない。口に出されても見られてはいけない。見られても触れられてはならない。触れられたら汚れるのだ。見られても汚れるのだ。口に出されたら汚れるのだ。知られたらそれでけでけがれるのだ。そうしたものがあるはずなのだ。それらはそれらを覆っているベールと一体で存在している。だから、そのベールをはがしても何もならない。何もありませんでしたと報告するか、つまらないものでしたと報告するのがせいぜいだろう。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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