日々雑感143「葬り去る」

 僕は中日新聞を取っている。二紙はもったいないので一紙しか取っていない。中秋の名月の写真が一面にあった。これがおかしい。雲が月のバックにある。月の模様が見えないのは明るさのせいかもしれないが、雲との関係は隠しようがない。
 マスコミの常套手段としての「やらせ」ではなく、これは何というのだろう。修正というのか?問い合わせれば補正というに違いない。でも、「やらせ」がなければ、TV番組は作れないと思う。また、「修正」がなければ、よいものを提供できない。TV番組の収録に多くの時間がかかるのに、放映されるのは一部だ。つまり、そこで選択がなされているのだ。没になった事実は葬り去られたのだ。また、カメラを向ける角度を決めるという時点で既に選択がなされている。つまり、他の角度から見える事実を葬り去っている。
 事実を大胆に葬り去ってこそ番組や作品ができあがるのだ。逆説的な言い方かもしれないが、そうしないと、限られた紙面や時間枠に詰め込むことができないからだ。しかも、〆切がある。この時間と空間の制限の中で、一通りのもの、つまり、お金が取れるものをつくるのは、並大抵ではない。ではどうするか。内容をコントロールするか、視聴者、読者をコントロールするかのどちらか、あるいは両方だ。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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