突然思い出したこと69「場」

 場という言葉がある。何かを説明するには便利な言葉だが、それ自体を説明するのは時間が要る。何が場なのか。何が場を成立させているのか。何のための場なのか。
 さまざまな場がある。人間社会の中で生まれる人間くさい場もあれば、物だけがつくりだす純粋な場もあれば、それらとは別の場もあるに違いない。
 小さい頃、広場という場所があった。何より広いかと言えば、部屋や庭、そして道が作り出している空間より広いということだろう。しかし、広場は野原より狭い。野原より人工的で、部屋や庭、そして道よりも人工的ではない。中には○○広場という名前の公園もあるけれど、公園と広場は区別したい。
 広場は野原より安全だが、庭よりも危険だ。広場と庭の間には公園がある。公園には遊具がある分だけ人工的だが、広場には遊具はなく、想像力と創造力が必要だ。広場が多目的であるのに対して、道は通るという一つの目的のために全員が行動する中で一般化されたルールを守ったり、邪魔をしないという相手に対する配慮を必要とする。広場は多目的だから、目的をみんなで決定する必要がある。それがうまく達成されるためのローカルルールが生まれる。その過程で争いも生じるから調整力などの問題解決能力が必要だ。野原では争いがより危険性を高めるから協力することが必要だ。庭の中では安全が確保されているから、無防備になって自分を解き放ち、心の休息をしなけるばならないので、自分にあった庭を構成するための自己分析力が必要だ。公園は遊具があるので、物に対しての対処を学ぶ必要がある。落ちないためにはどうするか、登るためにはどういう力を働かせたらうまくいくか、体を操ることを必要とする。合理主義の出発点となるだろう。
 子供はそれぞれの場を行きつ戻りつして、適応力をつけていく。何が違うかを感じて、対応の仕方を変化させる力だ。しかし、残念ながら1995年以降、外で遊ぶ子供が消えた。場不足の上ににせの場で奇妙な育ち方をした子供は、見た目は人間だが、昔の人間とは違う人間だと考えたほうが説明するのに都合がよいことが多そうだ。現在問題を起こしている子供たちとは別の問題を根底に抱える青少年がこれから出現してくる。それは、1995年以降に生まれた子供が親になったときに現れる。25年をプラスして2020年以降だろう。十代後半以降にならないと、問題が顕在化しないと考えると、2035年以降ということになる。もっとも、今の大人たちはほとんど死に絶えているから、別の見方をしてもらえるに違いない。場が変わっているのだ。世の中うまくできている。

広告

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
カテゴリー: 突然思い出したこと パーマリンク