日々雑感155「因果な話」

 日本刀には反りがある。七分反りをこえるとものになると、刀身の向きと振りの向きが一致しないと、止め手に若干の回転力を感じる。もちろん技量不足が原因だ。これも柄の拵えが手の内に合う仕上がりになっていれば、合理的な拳の締めによってある程度は気にならないものとなるだろう。
 反りが大きくなると、抜刀の際、柄頭で攻める位置と鞘引きの操作の関係が問題となってくる。常に同じ反りのものを使えばよいのだが、複数のものを使う場合は、刀から受ける感覚の違いによって、場合によっては怪我につながる誤操作が引き起こされる。何事も適度と節度ということが重要だ。
 包丁にも反りがある。押切する蕎麦包丁のようなものはまっすぐなほうが都合がよい。しかし、厚みのある肉を切ろうと思ったら、肉と刃の作る角度を適切に維持するためには反りが必要になる。単に突き刺すなら尖っているだけでいい。
 まっすぐな人間より、反りのある人間のほうが御しにくい。反り具合がわからないから、反応と行動の予測がつきにくいからだ。魚雷もまっすぐ来るから回避のしようもある。野球の変化球も打ちにくいようにうまれた。だから、送球に変化球を使う愚か者はいない。
 反りが合わないといって分かれる夫婦がいる。元来、人間の反りなどというものは合うはずがないのにだ。それをすり合わせるというところに夫婦の冥利もあろうというものだ。
 子はかすがいという時代は終わり、自分の生き方だけを大事にする幼稚な人生観が大手を振って歩いている。夫婦の反りのすりあわせという基本的な手順を抜いているので、大人に成長できずいるのだ。この子ども大人に不幸にして子どもができても、子ども大人は子どもとのすりあわせができない。本能的には親になろうとしているにもかかわらず、精神的にはまだ子どもの段階なので、どうしても自分の生き方だけを大事にしてしまうのだ。ここに親自体の不幸がある。そのストレスをどう解消しているかで人間性が評価されているというレベルに今はあるのかもしれない。
 離婚率はこれからも上昇する。反りを合わせるというモデルを家庭内で学習することができなかった子どもたちが多くなってきているはずだからだ。また、ゲームで遊ばされる時間が増やされ、仲間で遊ぶ力をつけていく時間が少なくなった子どもたちは反りをあわせる機会を奪われているからだ。結婚する人が減り、離婚する人が増え、ますます子どもが少なくなっていく。
 介護する人が減り、外国では日本人向けに介護者が育成されているという。若い外国の娘が介護者として日本に大勢来る時代は必ず来る。彼らは日本向けに教育されているだけでなく、日本人があるものと一緒に捨ててしまったものを心に持っている。そうなれば、日本の若者が見劣りしてくるのは当然だ。国際結婚が増えてくる。さて、介護者としてくるのは女性だろうか。どんな問題が彼らを送り出す国の中に起こるのか。
 さてさて、因果な話となったが、新しい血が混じり、また一つ日本も再建の道をふやすことができるかもしれない。大きな流れではないけれど、こうした種類の小さな流れがいろいろに絡まることが大事だと思う。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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