突然思い出したこと70「俳句・短歌」

 かつて第二芸術と呼ばれたこともあった俳句や短歌。しかし、芸術にも方法による役割分担がある。俳句や短歌に与えられた役割もあるのだ。それをたしなまぬのは表現し損ねてためているか、表現すべきものを感じる感性を衰えさせているか、他の方法で表現して済ませているかだろう。
 表現の形式をどのようにして選ぶか。表現内容の量と質、表現時間の制限という問題は、第一にクリアーしなくてはならない。長大な小説を書くには何年もかかる。時間のゆとりがない場合には不向きだ。紙が貴重品だったころにも制限がある。また、瞬時の思いや感動などはその場で言葉にしないと色褪せてしまう。死に臨んでは、まとまった文章を書く時間のゆとりがない。
 表現するには、表現の方法を選ぶということが必要で、その方法の長所を生かして用いるという考えが大事だ。しかし、なりふり構わずいろいろな方途で表現するということもあろう。いずれにしても作品を通して訴える真剣さが人の心をうつのだ。幻想であれ、奇天烈であれ、反骨であれ、苦悩であれ、審美であれ、芸術とはもともとそうしたものだろう。
 俳句・短歌は呼吸のようなものだ。かつて技巧を凝らした時期もあるが、自然に吐露されたもの、さりげなく語られたもの、そうだよねと共感できるもの、心が和やかになるもの。いずれにしても生活を豊かにするものだ。
 俳句・短歌を折に触れて詠み、それを蓄積していく。仮にこれを危険視する団体があるとする。 どのような団体が想定できるだろうか。
 俳句の場合は日本人に季節感を学習させてしまう。美しいものを美しいと感じる感性を育ててしまう。逆に真に醜いものを見抜く感性を育ててしまう。その他、諧謔趣味、反骨精神、仲間意識をもたせる川柳への橋渡しになる可能性をもっている。
 こうした効果を好ましく思わない団体を探すと面白い。・・・・・・意外といろいろありそうだ。

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