日々雑感205「妙なやっかみ」

 人が世話をしないと死んでしまう植物などは気持ち悪いのだ。枯れそうになるのは人間に対する甘えのポーズなのか。それとも、捨て身の作戦なのか。どちらにしても相手にはしたくないというのが本音だ。
 枯らしてしまえば植物に対する愛情が足りないとか、手入れが悪いだのと非難される。これを知っているかのように水をほしがり、手入れを要求するように見えてしまう。こんなことが許せないというのはどういう了見の狭さだろうと自分でも不思議に思うことがある。
 これに対して、人間を無視して生き生きと生長する夏草はたいへん好感が持てる。人間から自立したのではなく、最初からかかわり合いなど持ちたくないという姿勢で生きている。これが小気味よい。切っても抜いても健気にぐんぐん伸びてくる。この勢いを気持ちよく人間もいただいた方がよいと思う。
 しかし、夏草は雑草と言われ、排除されるべきものとして人間の頭に染みついている。これはどの時代の誰たちの趣味なのだろうか。確かに農作物を育てるには邪魔になる。雑草との戦いといってもよい。これは趣味というよりも生活というものだ。夏になると次々に雑草を刈りたくなるのは、衝動に近いものがある。随分と長い年月にわたって僕たちの感覚に染みついてきたのだなと感じてしまう。それとも、とてつもない生命力に妙なやっかみを感じているのかもしれない。
 鉢植えの植物が、美しく大きな花弁を発達させるのは、人間のためなのか、それとも、虫たちのためか分からなくなってくる。人間から、鉢という生活の場をもらい、手入れをさせつつ、仲間を増やしてもらう。人間がまるでメイドのようだ。文字どおり「花よ蝶よと育てられる」のだ。
 もしかすると、僕はそういう立場を獲得するのに成功した特定の植物に対する、これもまた妙なやっかみを単に抱いているだけなのかもしれない。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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