日々雑感207「言葉が支え」

 「艱難汝を玉にす」とは、大げさな訳し方をしたものだが、このぐらいが日本人にはちょうどよい。つまり、受け入れられやすい言い方だということだ。
 「玉」というのはすぐれた資質を表現する言葉なのだろうが、「汝を」という言葉の続きに来るので、人格を高めるというという意味合いになっていく。なんでも「道」をつけて、人格を高める手段にしてしまいたい日本人にはぴったりというわけだ。
 人殺しの手段まで人格を高める手段にしてしまうのだから、なりふり構わず人格を高めたいらしい。それほどに日本人は人格が低俗なのだろうか。それとも、いろいろな手段を用意して一人一人の個性にあった人格の高め方を選択してもらおうという究極の社会を目指しているのだろうか。もっとも、ただ単に崩壊しそうなシステムの再利用を巧みにはかったのかもしれない。また、文化という受け入れられる姿にすり替えて生き残らせるという離れ業を行った結果かもしれない。
 まさしく武道がこれだ。そのトレーニングはまさに「艱難」で、その報酬として「玉」がある。苦労しないと立派になれないという人生観の柱となる言葉として「艱難汝を玉にす」は象徴的だ。
 「玉」は宝石だから、美しく輝く。その輝きは、人間の魅力と置き換えられる場合がある。また、その光は周囲への愛情だと解釈することもできる。その光が自分のためだけに光るのであれば、独りよがりの卑しい光となり、ただ単に美しいだけだ。伝わるものがなければ価値がない。伝える内容は何か。それは「艱難」を耐え、克服していく生き様そのものであり、耐え方、克服の仕方などの具体的な知恵でもある。
 このように、言葉を言葉だけで考えて、文章にして並べていくと、一つの言葉から世界が広がり、新たな意味が生じていく。それぞれを必要に応じて短い言葉にしていけば、記憶されやすく、使われやすくなって、一つの公に認められたパターンになる。格言やことわざが数多くあるのは、そうした事情もあるかもしれない。虎は死して皮を残し、人は死して名を残すというけれど、名を残すのは難しい。
 しかし、言葉を残すのは、名を残すよりも簡単だ。言葉なら、なおのこと人間ならではのものではないか。死ななくても言葉は残していけるけれど、その言葉が残るには、どれだけ多くの人が価値を感じて口ずさむかにかかっている。人任せといえば人任せだが、その言葉が、生き残るための社会背景もあるので、これを考慮して言葉をつくれば残る可能性は高くなるだろう。
 さて、「艱難汝を玉にす」という言葉を支えにして力強く生きる人々は僕を含めて多くいるはずだ。ゆめゆめ「我慢汝を駄目にす」とか「緩慢万事を偶にす」とか「ガンマン何でも弾にす」などと、もじらないことが肝心だ。

広告

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
カテゴリー: 日々雑感 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中