日々雑感213「正体を暴かれよう」

 ときどき「死にカタログ」という本をめくるときがある。「死ぬってなに?」素朴な疑問を絵で考えた新しい「死の本」と腰帯にある。本体価格1500円なら映画より安い。命の危うい生きもの同士という連帯感が持ち合えたらいいと思う。いじめなどの問題が解決に向かいはじめるかもしれない。
 ところで、最近、ゲームのせいか、蘇りを信じる子どもが多いと聞く。彼らは命は使い捨てという感覚にいつでも移行可能な危うい状況にあると心得ていた方がよい。おそらく国が学校教育で宗教教育を禁止したツケを誰も払ってこなかったということなのだろう。
 宗教教育は絶対に公教育でも必要なのだが、それを禁止しているのは、ともすれば危うい教育になる可能性があるということなのだろう。多くの人は宗教教育をタブー視している。文化の中で倫理観を育んできた日本人には宗教がなくても倫理観を持つことができたので、近年は宗教からの自由を手にしている珍しい国だったはずなのだが、伝統文化が崩壊したり、歪められたりすると、宗教への傾倒がまた始まるのではないだろうか。
 しかし、宗教教育が禁止されているため、信仰するということの意味が分からず、ただ現世利益だけを追求してみたり、未熟な宗教に対してもその未熟さが身近さと勘違いされ、それがまるで魅力であるかのような錯覚を持ってしまったりするおそれはある。
 このような未熟な倫理観をもつ新興宗教に走るか、家訓・家風に伝統的な倫理観の源を温存している階級に嫁いで同化するか、化石化した倫理観の断片だけを頼りに出口なき迷路をさまよえる現代人になるか、既存の宗教にまぎれ込んで宗教改革を含む宗教活動に生き甲斐を感じるという一風変わった信心深い人となるか。どれもこれも今ひとつすんなりと受け入れられない。
 志ある人はどうして人間に宗教が必要であるのかを突き詰めて考えるだろう。その中で人間の正体が暴かれることになる。そこからどんな人間観が生まれるか分からないけれど、少なくともがっかりしたり、逆に得意になったりすることだけは避けてほしい。己の正体が暴かれてたとき、まずはすっきりしたという感覚をもつのが健全な精神であると思うのだ。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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日々雑感213「正体を暴かれよう」 への2件のフィードバック

  1. 祥子 より:

    宗教というか、道もの文化を必修にするっていう噂がありますが、個人的に是非とおしてほしい案だったりします♪

  2. どこにいるの? より:

    全く同感です。たらいの汚れた水と一緒に赤ちゃんも一緒に捨ててしまった感のある日本。しかし、真の理解が得られないと、今度は組織的に大事なものを捨てる愚を犯すことになる可能性がある。新たな危機の訪れととらえたい。

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