突然思い出したこと103「ケミカルガーデン」

 珊瑚礁の危機と地球温暖化についての特集を新聞で見た。たいへんなことだと思いつつ、ケミカルガーデンの実験を突然思い出した。
 小学生のとき理科クラブの実験でケミカルガーデンを作ったときの不思議さと美しさに心を動かされた記憶が、珊瑚のカラー写真を見て鮮明に蘇った。このように昔のことをはっきりと思い出すというのは老化現象なのだろうか。
 その鮮明さへの疑いもある。部分的な欠落や曖昧さに全く気づけなくなったために鮮明だと感じているだけのことなのかもしれない。鮮明とはいえ、数秒程度の記憶の断片的な集まりだ。
 試験管立てに六本の試験管を立てたこと。希釈前の水ガラスがずっしり重たくビーカーの中でゆらりと揺れたこと。ガラス棒の先についた水ガラスが震えたこと。数ミリ程度の大きさに砕いた銅や鉄やマンガンなどの化合物が試験管の底で小さく跳ねたこと。その日の夜、お風呂に入る直前に、覚えた6種類の物質名を父親に報告したこと。翌日、僕たちだけの花園が教室で紹介されて見せ物になり、穢れてしまったように感じたこと。この上なく美しいコバルト色の枝に心を奪われながら、黒板の右上に書かれた先生の解説をぼんやり見ていたこと。
 クラブだから毎週一回あったはずなのに、覚えているのはケミカルガーデンを作ったことだけだ。とても実用的とは思われない実験だという感想を持ち、いろいろの疑問がわき起こったからだろう。
 枝が伸びるという現象を解説されても、「ああ、そうなのか。それで?」と思ってしまう。それよりも、花は美しく人を喜ばせ、蜜は甘く虫を引き寄せるが、このニセ水中植物はなぜ美しく、人の目を引きつけるのだろうという疑問で頭がいっぱいになってしまう。偽物でも造花はやはり美しい。もしかすると、美しいということに対する買いかぶりがあったのではないだろうか等々……。そんなことも鮮明に思い出されてしまう。
 だが、いったい何のために記憶が呼び起こされるのだろう。何の役に立つのだろう。珊瑚礁の写真を新聞で見て、そこからケミカルガーデンの実験の記憶が蘇ったのだが、そのことが何に役だったのだろうか。ただ単に、似たもの同士が記憶の中でグループにされていて、覚えやすいように、また、思い出しやすいようにできていることの証明の一つになっているという意味だけしかないのかもしれない。そして、やや関連があるためにときどき間違えられて検索されたり、関連がなくても関連させた方がよいものがひらめきによって結合されていっしょに検索されたりするということを示しているだけなのかもしれない。
 こうなると、思い出す技術に二通りあることになる。基本的な「忘れていたことを思い出すための技術」と、発展的な「より多くの関連した記憶や別の思い出すべきことを列挙する技術」だ。これを高めるためのトレーニングは高齢者ほど有利になる。頭の中に材料がたくさん蓄積されているからだ。もちろん、それがどの程度秩序立てられているかという問題がある。しかし、その問題はトレーニングによって明らかになり、改善されるのではないかと思う。
 さて、どのようなトレーニング方法があるのだろうか。

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