恐怖シリーズ114「鵜呑み」

 インターネットを通じて入手できる情報は所詮は人間が入力したものだ。だから、入力ミスがあって当然だ。内容の適不適も切実だ。特に、忙しい社会人や批判力の乏しい学生は鵜呑みにしてしまうおそれがあるから、みんなで修正し合うという姿勢が必要だ。
 日常会話ならば、すぐに問いただして確認することができるが、ホームページではなかなかそうはいかない。良心的なホームページならば、何をどう修正したかなどの具体的な更新履歴や、問い合わせ用のメールアドレスが記載されている。こうした配慮があれば、情報のやりとりが実現し、入力ミスを正しく直せたり、言葉足らずを修正できたり、記述内容を改めたりすることができるので、情報をネット上に置けば置くほど、よりよい資料になっていく。
 これまでさまざまな分野のホームページを閲覧し、入力ミスであることが明らかな比較的無害な入力ミスや、入力ミスであることに気づきにくいために誤解を生じるおそれのある入力ミス、明らかに内容が間違っている文章、内容が間違っていることに気づかれにくいために不都合が生じるおそれがある文章などを指摘してきたが、そうした不具合はなくなることはない。自分も含めて自分自身のミスは気づきにくいものだから、不具合をなくすこと自体は仕方ないとあきらめるしかない。つまり、ひたすらみんなで不都合をなくしていくように努力し続けるしかないということだ。
 困ったことには、ホームページの多くはメールアドレスを記載していないので、問い合わせや指摘をすることができない。しかし、メールができるホームページならば、2、3日以内に返信があり、誤解を解くべく、細かな説明をしてくれたり、こちらの指摘が不適切であることを説明してくれたりする。もちろん、こちらの指摘が正しいときには、お礼の言葉も添えられている。ホームページにしても書籍にしても、遅くとも一週間以内の対応が普通だ。
 しかし、これまでに二つの例外がある。梨の礫というやつだ。一つは、最近の話だ。古田史学の会が古事記の神武東侵の段の久米歌を紹介した部分の不具合だ。末尾に、誤植等はすぐに連絡してくれれば訂正するという事が書かれていたので、メールを出したのだが、何の音沙汰もなく、既に6週間ほど経とうとしている。メールチェックは毎日しなくてはいけないなと自分も反省した。
 僕は内容の不適切な部分などを指摘する能力などはあまりない。しかし、誤植の指摘なら協力することができそうだ。こちらが指摘したとおりに間違いであれば、一刻も早く訂正作業をしていただきたい。
 ちなみに、神武東侵をテーマとするホームページに紹介されている久米歌が該当する部分だ。漢字仮名交じり文と英訳文とともに次のような平仮名表記の記述がなされている。
「うだの たかぎに しぎなわ はる わが まつや しぎは さわらず いすくはし くぢら さわる こなみが なこはさば たちそばの みの なけくを をこきしひゑね うはなりが なこはさば いちさかきの おおけくを こきだひゑね ええ しやごしや こはいのごふぞ。ああ しやごしや こは あざわらふぞ。」
この中に間違いが少なくとも二箇所はある。もちろん、僕の誤解かもしれない。また、こういうテキストが実際にあり、それを採用しているのかもしれない。
 しかし、素人目に見ても、「なけくを をこきしひゑね」というのは誤りで、正しくは「なけくを こきしひゑね」だろう。これは「を」が余分だ。また、「いちさかきの おおけくを」も誤りで、正しくは「いちさかき みのおおけくを」だろう。これは「み」が脱落している。歌は一言一句が大事だという意識がなさすぎる。意味が全く変わることもあれば、逆の意味になる場合もある。一つの歌に、このように一見して分かるレベルの誤りが二つもあってよいのだろうか。
 英訳部分にも疑問がある。「そば」は「soba」なのに、「いちさかき」の「さかき」の部分が「sasaki」なのはどうしてなのかということだ。英語では「さかき」は「sasaki」だということなのだろうか。それとも英語ではなく、「さかき」を「さかき」とローマ字で書こうとして「ささき」と間違えたのだろうか。それとも外国人の作成した別資料から転載したものなので、掲載した本人は間違えてはいないということで責任はないということなのだろうか。しかし、別資料からの転載であれば、出典が示されているはずだ。しかし、それはない。もし、示し忘れているとしても、転載責任はあろうというものだ。もちろん、単に僕の勉強不足で、このままでよいのかもしれない。
 そもそも出典が記載されていないので、勉強しようにも確認をとることすらできない。英訳を載せるのは悪くはないが、漢字表記と平仮名表記と漢字仮名交じり表記がそろっていないのは腑に落ちない。誰が訳したのかも不明だ。少なくとも、古事記なのだからもともとの漢字表記は外してはならないと思うのだが、どうだろう。
 また、専門家なら一見して分かる出典も、普通の人ではわからないのだから、資料末尾に記載していただけるとありがたい。もしかすると、出典となったテキスト自体に間違いがあるかもしれないのだ。内容すら適切ではない場合もあるから要注意だ。
 しかし、忙しい現代人にとっては批判読みなど至難の業だ。研究者によるホームページは、僕たちから見れば信頼度が高く、より無批判に読むことになる。この無批判に読むということの恐ろしさは最上級の恐怖だ。
 ところで、この久米歌は「いちさかき」の用例を調べていてたどりついたものなので、この歌以外の部分は一切目を通していない。従って、他の記述に不具合があるかどうかは残念ながら全く分からない。
 もう一つの梨の礫は、これまで何度も掲げたが、広辞苑についての不具合に対する手紙だ。第三版の「ヘパリン」の説明が全く逆であるという指摘を二十数年前に文書で提出したが、出版社は全く無視し続けた。第四版でやっと修正したものの、膨大な不適切な説明がある。
 しかし、自分でも曖昧な部分があり、「かもしれない」という言い方になることが多いのが難点だ。そこで、ネット上で「怪しい広辞苑」として見つける度に紹介し、適不適を判断してもらえるようにした。これは、日本人や日本語を学ぶ外国人のために役立つことであり、広辞苑をよりよい辞書にしていくことにつながる努力だ。辞書の内容については最初から無批判になりやすいから、心して見守っていかなければならない。
 しかし、辞書というものは、字が小さくて閉口する。やはり電子辞書を購入し、大きな字で見なくてはいけないのだろうと思う。字が大きければ誤りも見つかりやすいというものだ。
 とにかく表記に誤りが多ければ、内容も怪しいと受け取られても仕方ない。このようなことは、どうしても辞書のイメージダウンに直接つながるので、是非とも避けてほしい。まず、一つ二つ間違いが見つかったぐらいで、「みんなで作り上げていく広辞苑」などと出版社自身が口にするのは慎むことだ。そのように言うのは、実際の広辞苑はそんな呑気なことを言っている状況にはないという自覚を持ち始めたからかもしれないが、うたい文句の文字どおり、専門家によるチェックと書き直しをすることが最優先だ。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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