怪しい広辞苑159「第四版161ページ・井綱」

 広辞苑第四版161ページ「井綱」の説明。
 「井戸につるす縄。つるべなわ。」とあるが、これでよいのだろうか。
 井戸につるす縄という説明は非常に陳腐であるように思う。ひょろひょろと細長い縄が二、三本井戸端から垂れ下がっていて、風に吹かれて揺れている光景が目に浮かぶ。
 まだ、三文字分スペースがあるのだから、「釣瓶を」という三文字を追加した方がよい。「井戸に釣瓶をつるす縄。つるべなわ。」としなければ、意味が分からないのではないかと思う。なぜなら、「井綱」は、井戸を見たことがない人が調べる可能性が高い語だからだ。ただ単に「井戸につるす縄」という説明だと、何かのおまじないかと思ってしまう若い人もいるだろう。
 もしかすると、水を釣瓶に満たして汲み上げるためだけに使うのではないという意味合いで「釣瓶を」という言葉を抜いたのかもしれないが、それなら「釣瓶等をつるす」とした方がよい。それでもう一行使わねばならなくなると言うのなら、次の「つるべなわ。」の「なわ」を漢字にすればよい。
 それにしても、釣瓶以外に何をつるすのだろう。冷たい井戸水でスイカを冷やすためにスイカを吊しておろすのだろうか。井戸のメンテナンスや落下した物を拾うために人間が吊されて下に降りるのだろうか。それとも、折檻のために吊すのだろうか。これではお菊さんだ。お菊さんを陥れたのは誰かは不明だ。井戸に身を投げたのか、投げ込まれたのか、吊し切りになって落とされたのか、これも不明だ。深くて、底が見えない井戸。何やら恐ろしげだ。リングの貞子も井戸からはい出てくる。
 井戸は恐怖の装置だ。これは引き上げる恐怖だ。上がるまで何が出てくるか分からないという恐怖だ。しかも、井戸には行かねばならない。上がってきたのが水でよかったと安心する。釣瓶がいつもより重かったら恐怖メーターの針は振り切る。生首でもすくい上げたのだろうか。重く感じるのは疲れていただけなのかもしれないが、疲れているときこそ、妙な想像が働くものだ。
 さて、井戸といっても、現代は電動ポンプであったり、手押しポンプであったりする。お墓の水がこの手押しポンプで組み上げるタイプのものだったので、幼い頃の記憶としてよく覚えている。
 「井綱」は、昔ながらの釣瓶式でしか使わない。井綱の両端に釣瓶を吊し、片方ずつ引き上げたり、落としたりして、二つの釣瓶を往復させて水をくみ上げるものだ。これは時代劇でしか見たことがない。天秤棒のようにした釣瓶竿に釣瓶を一つ吊して、てこで釣瓶を引き上げるタイプを挿絵で見たことがあるが、実物はまだ見たことがない。
 電気を使わないから壊れない。綱も毎日見ていれば、いつ切れるか分かる。しかし、電気で動くポンプはいつ壊れるか分からない。停電になれば水も汲み上げられなくなる。
 現代文明は、人間を盲目にしている。目に見えないところで技術が使われ、目に見えない働きをしているからだ。それは、目に見えない恐怖や謎に対抗するためでもあるが、通常の感覚ではコントロールできないという恐怖を新たに作った。
 「井綱」だけを見て何に使う道具かと問えば、十人十色の答えが返ってこよう。それが道具としての懐の深さであり、何にでも使える物として人間の世界を広げる力を持ったものであるといえる。こうした認識をもって大事にされなければならないものだ。
 複雑化、巨大化、微細化と極端な方向へ進むことも進化だが、それでは行き着く果てがある。基礎的な道具を上手に使うことを学び直さねば不都合が多くなるだろう。綱、棒、刃物。これらを駆使したサバイバルを体験することなく、大人になるのは非常に危うい人間性を背負うことになるように思えてならない。

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<釣瓶デザインの風呂敷は珍しい 画像クリックで説明画面へ>

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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