恐怖シリーズ126「宇宙人」

 本物の宇宙人は、人間以外にはなかなか見つけることはできない。しかし、意識が宇宙にある人は人間の中に時折見つけることができる。彼らのことをとりあえずは宇宙人と呼ぼう。
 宇宙人はいつも宇宙を意識している。宇宙を意識していると、日常生活の細々とした問題も、厄介な仕事の問題も、人生の深刻な重大問題も特段何の問題でもなくなってくる。
 しかし、身の危険を感じることから逃げることもなく、火中の栗を拾いに行くことも辞さず、波風立てるとわかって生きていくので、周囲に迷惑をかけることになる。本人は、プライドが傷つこうが、将来を失おうが、命が危なかろうが、感ずるところはない。しかし、傍迷惑だ。周囲への配慮が必要だ。しかし、それができないところに問題がある。
 いつも宇宙を判断基準にしている彼ら宇宙人は、適当に利用してあしらうのがよいのだが、そのためにはそばにいる必要があり、いつその迷惑をこうむることになるかわからない。また、そばにいたくなくても、そばにいなくてはならないという状況に置かれることもある。この場合、いつも周囲は冷や汗をかいていなくてはならない。
 真正宇宙人に対しては、周囲も覚悟ができているので、対応しやすいのだが、中途半端な宇宙人は始末が悪い。不意打ちを食らって道連れになるおそれがある。
 さて、彼はなぜ宇宙を意識するようになってしまったのだろうか。第一に考えられるのは、現実から逃避する必要がありながらも、現実に立ち向かわねばならない立場や状況に置かれていたのではないかということだ。第二に考えられるのは、世の中を見つめ、歴史を見つめ、将来を見つめ、人間を見つめ、深く思考した結果、悟りの境地に達したのではないかということだ。
 どちらにしても厄介な存在であることには変わりない。しかし、前者が時折悲哀の目で見られたり、結局は鼻つまみ者として扱われるのに対し、後者はいずれ哲人、人々の指導者として見られることになるだろう。
 つまり、いつまでも顰蹙をかう人間で終わるか、あるいは、世の中を動かして尊敬される人間となるかは、スタートの段階で決まっているということになる。もちろん、前者がほとんどで、後者は極めて少人数だ。
 問題は、彼らがどのような自覚のもとに生きているかだ。そんなことは誰にも分からないことだ。また、分かってもどうにもならない。しかし、彼らの周囲で生きなくてはならない者たちがいることも確かで、その者たちにとっては、どこで彼らを見限るか、どこで彼らと道連れを覚悟するかという一大問題を背負っていることになる。
 一大問題といっても、どうするかの判断は一瞬で終わる。人生というものは実にさっぱりとしたものだ。もしかすると、そこが人生の妙味というものなのかもしれない。
 しかし、これは宇宙人の危機だ。周囲の判断はたとえ多数決であっても正しいとは限らない。判断ミスによって、大人物が無下に葬り去られ、小人物が無闇に祭り上げられる可能性がある。これは実に恐ろしいことだ。
<怪しい宇宙人だ 画像クリックで説明画面へ>

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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