
かつて愚民政策という言葉があったけれど、既に定着したので、単に政策といってよいのかもしれない。これによって、結果として国が滅ぶ。
では、本来の政策はどうだろうか。過去十年で何かうまくいった政策が一つでもあるだろうか。過去二十年でも、三十年でもよい。成功例というものは果たしてあるのだろうか。
しかし、本当にこの国を潰そうと思ったら、愚民政策だなどと悠長なことばかりを言っていてはいけない。同時に政府工作を進めるのがよいだろう。もっとも、工作する必要があまりないところにこの国の不幸がある。
かつて未来学と称するものが、日本の将来は薔薇色だと結論づけたことがあった。確かにおよそ予想された結論になったが、薔薇と聞いて、花はしおれて枯れるのにどうして浮かれるのかと不思議に思った国民もいたはずだ。しかし大方は、単純に自分たちの将来を喜んだ国民の方が多かったように思う。
未来学なのだから、その薔薇色の日本の先にある暗黒の日本についても示さねばならなかったと思うのだ。しかし、それは紹介されることはなかった。きれいに咲いた花がその後どうなるかは子供でも知っているからだ。
さて次に、薔薇色の時期に何をしておくべきかを未来学は示していただろうか。おそらくは示していたのだろうが、そんな夢のないことを取りあげることはないという判断をメディアがしていたとすれば、それは罪なことだ。あり得ない話だが、気づいていなかったというのなら最低だ。そこを指摘するのがメディアの責任、いや本来の仕事というものだろう。逆に、気づいていたとしたなら最悪だ。
もちろん、良心的なメディアというものがないわけではない。しかし、国民の印象に残せなかったとしたら、既にその時点で失格だ言われても仕方がない。
実際に、賢い政府と賢いメディアに国民が飢えていることは確かだ。しかし、失礼で大人げないと言われるのが嫌だから誰も何も言わず、ただひたすらに黙々とがんばっている。そうした意味では、この国の国民は非常に素晴らしいといえる。普通の国なら、とっくの昔に国がひっくり返っているはずの状態だ。
おそらく、ものには限度というものがあるはずだが、そのように感じる心が鈍くなってしまっているのだろう。何によって鈍くなってしまっているかは言うまでもない。