怪しい広辞苑176「いろこ」

 広辞苑第四版189ページ、広辞苑第六版210ページ「いろこ」の一行目。「魚のうろこ。」とあるので、「いろこ」イコール「うろこ」なのだと誰もが思うだろう。ところが、「うろこ」は「うろこ」でも「魚のうろこ」のことを特に「いろこ」とよぶのだという読み取りをする人が出てこないとも限らない。つまり、爬虫類の「うろこ」は「いろこ」と呼ばないという読み取りだ。
 そんなひねくれた読み取りをする人など相手にしていられないという声も聞こえてきそうだが、敢えて特殊な例を挙げて難癖をつけようとしているわけではない。日常生活で無数の判断をして必要な理解をしていかねばならない人生においては、オートマチックな取捨選択とオートマチックな判断に頼ることがままあるために、そうした理解をしてはならないところでも不用意に「自分にとっては当たり前の判断癖と理解癖」をつい発揮してしまう場合があるということをおそれているだけだ。
 そもそもオートマチックな瞬間的理解というものは、その速度においては優れているものの、「了解の仕方」や「了解した内容」に対する確認が欠落しているという致命的な欠点がある。もちろん、経験を重ねることによってその欠点はカバーされていくことになるのだが、かえって融通の利かない頭というものを育て上げてしまうという危険性もある。
 学生は他のことも勉強しなければならないので、日本語の単語の意味調べなどはオートマチックな「瞬間的理解」で済ませていくにちがいない。学習は研究と異なり、まず信じるということを土台としているからなおのことだ。
 辞書の説明が数行でなされていることは、多くのことを学ぶ必要がある学生にとっては、深みにはまらずにすむため、また短時間で覚えられるために便利ではあるのだけれど、その使用単語数の少なさがオートマチックな瞬間的理解をどうしてもひきおこしてしまうように思う。さらに、「辞書を信じる」「活字を信じる」という学習者にとっては当然の心理もその傾向に拍車をかけているはずだ。
 特に辞書の説明文言にあっては、充分に検討された適切な説明内容になっていないと、収録語数の多い立派な辞書であればあるほど説明に費やされる語数が減る可能性が高いので、結局は罪作りなものとなってしまうように思う。
 ところで、同260ページ「うろこ」の一行目には、(古くは「いろこ」)と説明されている。これが本当なら、189ページの内容と考え合わせると、かつて「うろこ」といえば「魚のうろこ」のことだけを指し示していることになり、爬虫類の「うろこ」については全く別の語で言い表されるか、あるいは「○○のうろこ」というように連体修飾語を前に置くことによって言い表されるかのどちらかにならねばならない。
 もし、これが間違っているのなら、広辞苑第四版の「いろこ」の説明は、「魚のうろこ」とするよりも、「魚等のうろこ」または「魚類や爬虫類のうろこ」などとしなければならないはずだ。似たようなものじゃないか、そんなことどうでもよいことじゃないかと一瞬思わないでもないが、その積み重ねを長年続けているうちに言葉そのものに対する感覚が鈍っていくのは間違いない。
 言葉に対する感覚の鈍りというものは、大きな間違いを起こす土台となっていたり、生きる姿勢や人柄にまで影響を与えていたりするから恐ろしいものだと心得るべきだと思う。
 さて、「うろこ」の説明で「古くは」と説明されても、それがどういうことかは分からない。もっとも、これは単なる国語辞書なのだから仕方ない。
 しかし、一口に「古くは」と言われても明治時代なのか江戸時代なのかもっと昔なのか実に曖昧なので、このまま放置しておけない。また、「いろこ」の発音が次第に「うろこ」に変化していくのか、それとも「いろこ」とは別に存在する似た言葉の「うろこ」とが、ただその似ているという単純な理由でいつの間にか入れ替わってしまったのか、あるいは「いろこ」と「うろこ」の両方あったものの、まずは「いろこ」を使用する古い勢力の資料に記録された後に、その勢力が衰えて死語となり、その結果として別勢力が使用していた「うろこ」に日の目が当たるようになったのか、それとも別の理由があったのかが皆目わからない。
 この辺りが説明不足であるために、「ことばなんていいかげんなものだ」という意識が学生の心の中に芽吹いてしまう原因となっていったら非常に残念だ。そんなことを感じる学生などほとんどいないという意見もあるかもしれないが、感じなければ感じないほどに恐ろしい。自覚のないものについては自己を振り返っても本来チェックされるべきところがチェックされるべきものとして意識されないのだ。
 また、そんなことを感じる学生がどれだけいるかといっても調べるのは難しい。しかし、かつて少なくとも一人はいたということだけは確かだ。
 ただの国語辞書なのだから、たとえ本当のところが分からなくとも、「いろこ」や「うろこ」の用例を挙げて出典を示せばよい。これだけで語形の変遷やその背景にあるものに思いを巡らせる学生が増えるに違いない。国語辞書ならこれで充分だろうと思う。逆に、意味や使われ方を確認するだけの辞書では物足りないと思わせる辞書でなければならないということも言えるだろう。広辞苑はそうした辞書になり得る国語辞書なのだから、説明のあり方を研究し続けてほしい。

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