恐怖シリーズ155「骨密度」

 骨密度測定装置が来たので測ってみた。数値が悪い。今日から牛乳を飲もう。小魚もしっかり食べよう。瞬時に決意して実行しはじめたということは、数字にはそれだけの力があるということだ。 
 数字というものは恐ろしいもので、言葉よりも力をもっている。しかし、数字だけでははたらかない。言葉の効果をより強力にするという意味で力をもっていると考えた方がよい。
 言葉には言葉自体の魔力と活字の魔力があるが、数字には加えて明確さというものがある。この明確さによる説得力と取り扱いのよさが武器だ。
 しかし、その数字が算出されるに至った過程と計算の過程を、数字そのものが覆い隠してしまうことがある。数字がいつの間にか言葉を駆逐してしまうのだ。これによって数字の不当な魔力が成立する環境が整う。危うき数字の一人歩き、不可解な取り扱い、そうしたことが容易に行われてしまうのだ。
 言葉と数字のバランスを崩さぬようにしないと、どうしようもなく気持ちの悪い世界が出現することになりそうだ。既に僕は骨密度の測定値にずいぶんと踊らされている。いろいろな数値の組み合わせで人をどうにでもコントロールできそうな感じもする。もっとも、数字自体が別段悪いわけではない。濡れ衣だけは着せないようにしよう。
 特に基準となる数値は怪しい。それが基準であるという証拠が乏しかったり、逆にもっともらしかったりすると、もう危険だ。ほんの少し基準値を変えるだけで世の中のお金の流れが大きく変わってしまうからだ。この基準値という数字の裏にあるものを見抜く目が育ってしまうのは、基準値を定める側としては非常に困ることになる。これが育たないようにするもっともらしい理屈や仕組みを探していくと、いろいろと面白いものが出てくるに違いない。
 例えば、有識者会議というものにつきあたったら、いの一番に注目し、その会議がお飾りになっていないか、構成員に偏りはないか、誰が選出し、誰が辞退したかを調べるべきだろう。しかし、その時間と労力は誰も与えてくれないのだ。暗闇の中を他人の目で誘導されていることに恐怖を感じなくてもすむのは、恐らく僕たちのほとんどが同じ境遇に置かれているせいだろう。目の前にマンホールが口を開けていても、見えていても認識できない状態であることは間違いないと思うのだ。これほど恐ろしいことがあろうか。

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