変な疑問111「ヒル」

 ヒルという生き物がいる。ずいぶんと嫌われている。音を立てずに忍び寄るからだ。血を吸うからだ。そしてなかなか離れないからだ。しかし、何より見た目だ。
 音を立てないのは仕方ない。音を立てたら獲物が逃げてしまうからだ。もしギチギチと凶悪な鳴き声をあげながら襲ってこようものなら、絶滅させる勢いで人間がヒル狩りに立ち上がるに違いない。ヒルが自己防衛のためにおとなしく黙っているのだと考えるのがヒルに対する相当の対応だと思う。
 血を吸うのも仕方ない。人間はどうか。血を飲むだけにとどめて相手を生かしておくなどという慈悲など持ち合わせていないではないか。殺さないのは乳を搾取するウシやヤギぐらいだろう。さまざまな生き物の皮を剥ぎ、肉を切り裂き、骨を断ち、内臓を切り刻むではないか。塩をすり込み火で焼くに至っては悪魔の所業にも劣らない。そうした生き物が血だけ吸って生きているヒルのことをとやかく言うのはおかしいではないか。
 なかなか離れないのも仕方ない。いつ食事ができるかわからないのだ。簡単に退散する余裕などないのだ。文字どおり命がかかっている必死の生き様が人間の目にどのように映ろうと、ヒルはお感じないかもしれないが、この必死の生き様を非難する資格を誰が持っているというのか。
 見た目も仕方ない。人間に好まれようと生まれたわけではない。必要に応じて設計変更を余儀なくされ、姿が変化してきた末路だ。いや、時の流れの傑作だ。生き物はすべてそうだ。人間はこうした自然の営みまでをも否定しようというのだろうか。ハンサムなヒルや不細工なヒルというのもおかしいが、そうしたレベルではなく、ヒルであるという存在のレベルで否定されるのでは、この世に生を受けた者、親を受け継いだ生き物としては身も蓋もないではないか。
 もちろん、山でヒルに出会ったら踏みつぶし、血を吸っていたらライターで炙る。それは自然な対決行為だ。しかし、それはそれとして、生きている者同士、その意味で戦友だ。ヒルの方に心がなければ、対決しながらも人間の方で思いやりの心をもつべきだと思うのだ。思いやりで語弊があるなら、尊敬だ。同じ星で同じ時代を生きる者同士が、励まし合ったり尊敬し合ったりするということは、そんなにおかしいことではないだろう。
 かつて蛭医者という人々が蛭を使って医療行為を行っていた時代がある。血が止まらなくなるのを利用した医療行為だが、彼らはヘパリンのようなものを出して吸血の役に立てているらしい。ヘパリンといえば広辞苑第三版を思い出すが、広辞苑第三版どおりの説明ならば、ヒルは血を吸うことが不可能となり、絶滅どころか最初から存在しない生き物だったことになる。
 とにかく医療にも役立つ生き物なのだから、もう少し見直すべきだと思う。しかし、ペットにしようとは思わない。生理的にやはり気持ち悪いからだ。ペットは基本的には毛がふさふさしていなくてはならない。その毛を撫でていると血圧が下がるという話もある。逆にぬるぬるしたヒルが取り付くと血圧はあがるかもしれない。では、低血圧の治療に役立つかもしれない。まさか。
 このように、ヒルの立場に立てば人間の不当な扱いを非難することができるが、冷静に考えて人間の立場に立つと、とても戦友だなんて思えない。敵そのものだ。それは、最も残忍な捕食者である人間のプライドをこっそり傷つけていくからかもしれない。
 献血車で400ミリリットルも血を提供するのだから、血を取られること自体にそんなに抵抗があるわけではない。やはりあの見た目がいけない。もし、ティンカーベルみたいな小さな女の子がすてきな笑顔でやってきて、ウインクしながら「吸ってもいいかしら。ウフフッ。」と甘えたら、きっと「いいよ。明日も来てね。」と答えるに違いない。たとえかまれて痛くてもだ。
 ヒルの見た目をもっとよいものにできないものだろうか。毛を増やしても毛虫に近くなるだけだ。やはり足や尻尾がなくてはいけないだろう。義足や義眼は何とかならないか。かわいい声で鳴くことができればさらによい。そうだ。日本のロボット技術でヒルを救ってやろう。手のひらサイズの手乗りタイプがよいだろう。見目麗しく……。ヒル……。ヒルコ。蛭子。神話では、骨すらない体のととのわぬヒルコは葦船で流された。流されたといえば、……手塚治虫の「どろろ」の百鬼丸ではないか。百鬼丸は川に流されたのち、医師に拾われたという設定だ。義手義足を取り付けられ、義眼も入れてもらい、人の形となった。
 実際に流れてくる水死体はぶくぶくに膨れあがってただの肉の塊のようになるから、まるで相撲取りの土左衛門のようだということで、土左衛門と呼ばれることがある。また、海で上がる水死体は「えびすさま」という。漁船などはこれを引きあげると縁起がよいということになっていたらしい。魚がついばみに寄ってくるからだろうが、同業者である可能性が高いということもあるだろう。自分もそうなる可能性も高いから、手厚く葬るということがこの縁起担ぎの土台としてあったのだろう。「えびすさま」は恵比寿大黒のえびすで、釣り竿をもって鯛を抱えている。だが、流れてきた蛭子(えびす)様、つまり水死体が真の姿なのかもしれないと思うと、何か不思議な感じがする。もともと神様なのだから不思議であって当然なのだが……。
 それにしてもヒルはかつて何を食べていたのだろう。最初から血なのだろうか。血でなければ、いったいいつから血を吸うようになったのだろう。変な疑問はいつも僕の頭を悩ませてやまない。
 
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