恐怖シリーズ163「ことばの次」

 つじつま合わせのために、何かことばを創造することがある。当然、いんちきなご都合主義だと批判される。
 しかし、そうだとばかりも言っていられない。創造されたことばによって、不明確なことが明確化されたり、未解決の問題が解決されることだってある。
 だとしたら、それはそれでよかったことになる。何も手持ちのことばですべてを記述することが可能だとは誰も言っていない。誰かが計画的に手持ちのことばを作り上げてきたわけでもない。
 必要に応じてことばを創り上げていくことが、変遷のなかで歴史を刻んでいく運命にある人間という存在にとっては、生きる手立ての基礎となっているような気がする。また、自分たちが創り上げていく世界に責任持って対峙するにはそれしか方法がないとも言える。
 そうしてみると、人間という存在はことばによって都合をつけていく存在と説明してもよいように思われてくる。ほかの動物はどうだろう。自分の体の一部を変形させていくことによって世界との折り合いをつけていくという王道を歩んでいる。
 それに対して人間はどうだ。ことばの創出によって世界との折り合いをつけていくという綱渡りをしている。折り合いをつけながら自らが生きている世界の意味合いを自ら変化させていく。立場によっては、これが迷惑行為になる場合と、賞賛行為になる場合がある。
 ことばからものを生み出し、ことばから行為を生み出す。これまでになかったものをことばによって実現する。時間を節約した非常に効率のよい手口だ。もうほかの動物はあきれてしまって、人間の後を追おうとはしない。この独創、いや独走はだから止めるものがいない。自分で自分を律するしかない自由と孤独を人間は背負ってしまっているということだ。
 だから、僕は人間が好きだ。ただ、ことばの獲得の次に、何を獲得しなくてはならないかをそろそろ気づき始めないといけないように直感する。その何かとはいったい何だろうか。なぜか、その何かがとても恐ろしいもののように感じてしまう。全く想像できないということの恐怖は、ある意味さわやかではあるが、そのように感じるのは僕だけだろうか。

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