怪しい広辞苑219「打ち塡む」

 広辞苑第四版234ページ、広辞苑第六版260「打ち塡む」の説明に『他下二①はめる。投げこむ。万一七「鶯のなくくら谷に-・めて焼けは死ぬとも君をし待たむ』とあるが、これでよいのだろうか。
 広辞苑第四版で「塡む」と「打ち塡む」の意味を比較した場合、この意味の違いがどのように説明されているか。広辞苑第四版2098ページの見出し語「塡む」には「→はめる」とあり、同じページの見出し語「塡める・嵌める」には『他下一 文は・む(下二)①くぼんだ所におとし入れて身動きならないようにする。万17「鴬の鳴くくら谷に打ち-・めて焼けは死ぬとも君をし待たむ」』とある。
 最初に気づくことは、「打ち塡む」の方は修飾語のない基本的な意味が記されており、「塡む」の方は「打ち塡む」の意味よりも詳しく強い意味合いを持たせて記されているということだ。これはどういうことだろうか。
 第一義の「物を打つ」という意味での「打ち」を語頭にかぶせて造語するとき以外は、「打ち」ということばを語頭にかぶせることによっていろいろな意味合いを持たせるのが普通の展開だ。広辞苑第四版では、例えば「打ち薫る」ならば、「さっと薫る」「ほんのり薫る」、「打ち聞く」ならば、「ちょっと聞く」「ふと聞く」というようにだ。あるいは、「打ち続く」ならば、『「続く」を強めていう語』、「打ち見る」ならば、『「見る」を強めていう語』のようにだ。
 なぜ、このように「塡む」と「打ち塡む」の意味が入れ替えられたような感じになっているのだろうか。とても不思議に感じる。
 次に気づくのは、用例が同じということだ。「打ち塡む」も「塡む」も、万葉集の同一の短歌が用例として掲げられているが、これによって意味の比較が容易となり、更に意味が入れ替わっているのではないかという強い疑念が読み手にわき起こってくる。
 さらに気づくのは、用例の「鶯のなく」と「鶯の鳴く」に見られる表記の異なりだ。元々万葉仮名なのだから、これはどちらでもよいのだけれど、同じ書籍で表記に揺れがあることは、特別の意図がない限りあまり褒められたことではないように思う。
 ことばの意味には広辞苑なりのこだわりがあると思うのだが、同じものを用例として引用するときの表記の統一ぐらいはしてほしい。広辞苑第七版でお願いできないものだろうか。

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