怪しい広辞苑226「靫・空穂(うつぼ)」

 広辞苑第四版239ページ、広辞苑第六版266ページ「靫・空穂(うつぼ)」の説明。「矢を盛って腰に背負う用具。」とあるがこれでよいのだろうか。
 第一に、「矢を盛る」というのはどうだろう。「盛る」というのは口の開いた器にものを満たしたり積み上げたりすることが基本的な意味だ。これが「胡箙(やなぐい)」や「箙(えびら)」ならば、「盛る」という表現がふさわしいように思う。上方に開口部がある容器だから、そこへ矢を入れていけば、上方に盛られていくという状況になるからだ。「平胡箙(ひらやなぐい)」ともなれば、複数の矢が扇形になるように盛りつけられるため、矢羽根の柄がはっきりと見え、見栄えがよくなる。いかにも盛ったという感じがするのだ。ここまでくると実戦的な装備ではなく、装飾的で儀式的な装いにふさわしいものとなる。
 しかし、「靫(うつぼ)」は蓋のある筒のような容器だ。「うつぼ」に矢を収納することを敢えて「盛る」という表現にするのはどういうわけだろう。そのように言う習慣が「胡箙」「箙」にあって、それが受け継がれたものかもしれない。
 しかし、広辞苑では、「胡箙」や「箙」の説明に「矢を盛る」言い方を採用していない。これはどういうことなのだろうか。ここが理解しにくいところだ。筒状の容器に収納して蓋をしてしまうのだから、普通に「入れる」「収納する」の方がよいと思う。
 ちなみに広辞苑第四版239ページ、広辞苑第六版266ページ「空穂の実」には、「靫の中に入れる征矢(そや)。近世は七本・九本・一一本を差す。」とある。ここでは「入れる」を使っているのに、どうして「靫・空穂」の説明では「盛る」になってしまうのだろう。もっとも、二文目に「差す」とあるから、結局は「差し入れる」ということなのだろうか。
 第二に、「腰に背負う」という表現はどうだろう。腰にどうやって背負うのか不思議な表現だ。イラストを見てもわかるように蓋や矢を固定する紐以外には腰につける帯しかない。これでは背負うわけにはいかないのではないか。また、腰といっても左右の腰と背面の腰があるので、この説明では装着する部位が明確ではない。また、この表現では背中に添う形で背面の腰に取り付けるというイメージになってしまう。
 実際には右の腰に装着しなければ、左手で弓を持って右手で矢を番える動作が不可能なはずだ。ここは単に「右腰に帯びる」とした方がイメージしやすいと思う。イラストでは上向きに毛の流れが描かれているので、このイラストの上の方が実際に腰につけたときには下向きになることがわかる。雨を凌ぐのであるから、雨が流れ落ちる方向に毛皮がはられているはずだからだ。毛並みの毛先方面とは逆の方に蓋が取り付けられているのだから、なおのこと背負うことなどできない構造だ。
 とはいえ、靫のイラストは広辞苑第六版の方がよりわかりやすくなった。蓋が外れた状態で描かれていいるため、どこから矢を取り出すかがこれでわかるようになった。もっとも、この靫(うつぼ)のイラストが、靫(ゆぎ)、平胡箙、壺胡箙、箙が矢も描かれたイラストであるのに対して、容器だけであるのは腑に落ちない。
 なぜ、靫(うつぼ)だけ、矢の入れる向きがわからないような仕上げのイラストにしてあるのだろうか。蓋が開いたイラストになったのはよいが、中身が描かれていないというのだから、ミステリアスなものを感じる。まさか、ことば通り「空穂」だというしゃれなのだろうか。それとも矢を描くことに不都合のある事情があるのだろうか。どのような事情があるにせよ、利用者に説明がない限りは、その事情は言い訳になってしまう。広辞苑第七版では改善されていることを願う。

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