怪しい広辞苑229「移る・遷る・映る・写る」

 広辞苑第四版240ページ、広辞苑第六版266ページ「移る・遷る・映る・写る」の説明。撰集抄からの引用で「-・りし人の後世をこまこまととぶらひなんどする」とあるが、本当にそうなのだろうか。
 なぜかと言えば、早稲田大学図書館所蔵の「撰集抄」巻第1-9(河内屋善兵衛, 貞享4)(1687の出版)を画像データで閲覧すると、第四巻に「うつりし人の後世をこま/\と弔ひなんとする」と読める部分がある。「弔」には「とむら」と読み仮名がふってあり、広辞苑が引用している言い方とは異なるが、「さびしい」と「さみしい」の関係と同じで、単なるBM変換だから、「とぶら」でも問題ない。これは本の由来が違うことを意味しているのだろう。また、「弔なんとする」という写本もある。これには「弔」に「とむらい」と読み仮名がふってある。
 それはともかくとして、どちらも広辞苑のように「ど」ではなく、「と」だということに注目したい。
 奈良女子大付属図書館所蔵の「撰集抄」(慶長頃の写本というから一六〇〇年前後)を画像データで閲覧すると、「移りし人の後世をこま/\と訪なんとする」と読める。「弔」と「訪」の違いはあるが、読みは同じだろう。問題は、「と」だ。
 しかし、そうなると広辞苑の「とぶらひなんどする」の「ど」はなぜ「ど」なのだろうか。少なくとも先の早稲田大学と奈良女子付属図書館所蔵の「撰集抄」では「と」となっている。写真をどれだけ拡大しても「ど」とは読めない。
 しかも、前者のテキストでは全編通して濁音で読むべき文字には濁点がこまめにきちんとふられている。このことを考えると、この引用部分の「と」には濁点が打たれていない以上、十六、七世紀、特にこのテキストを作成した人や読者は少なくとも、これが「と」であるという認識を持っていたということになる。これらの写本は濁点が打ってあったり、漢字には読み仮名がふってあったりするので、伝わってきた写本をより読みやすくしようと勘案された写本や出版物だということがことがうかがわれる。
 これらの情報を確認した時点で、この「と」に濁点がつけられなかった経緯を広辞苑編集担当者はどのように評価したのだろうか。撰集抄の成立から約四百年近く経っている写本のようだから、それなりに定本化していたのではないかと思うが、甘いだろうか。いずれにせよ、広辞苑編集担当者は「ど」とするテキストを選択したのだ。
 さて、濁音化は撥音の次に起こりやすい。しかし、この場合はどうなのだろう。
 「商人」は「あきんど」だが、本来、「ど」は「と」だろう。「蔵人」も「くらんど」だが、やはり元は「と」だろう。「納戸」の「なんど」も同様だ。「ん」の発音上の口の開きと舌の位置の関係で「と」が発音しにくいため、「ど」になるのだろうが、この引用文の「ん」と「と」の関係はどうなのだろうか。
 また、「何(なに)と」の場合は「何(なん)ど」となるわけではなく、「何(なん)と」となる。
 このように、思いついた例だけで考えると、助詞の「と」の場合は、名詞の場合と異なり、濁音化しないということになってしまう。これはたくさん例を挙げて確認すべきところだ。
 しかし、そのように大雑把な予想でものを言ってはいけない。例えば、この接続助詞の「て」については、補助の関係を形成する場合、「読みて」は「読んで」、「生みて」は「生んで」となるように、助詞の「て」を「で」と濁音化する例をたくさん挙げることができる。こうなると、単に助詞だから濁音化しないということは言えなくなってくる。
 では、一旦「と」「ど」から目を移し、「とぶらひなんとする」の「なん」に注目するとしよう。
 この「なん」は何だろう。係助詞の「なむ(なん)」か、助詞の「なむ(なん)」か、助動詞「な」と助動詞「む(ん)」か。
 係助詞の「なん」であるかもしれないが、このテキスト中の係助詞は「なむ」と表記されているので、「なん」と表記されているこの部分は係助詞ではなさそうだ。
 助詞の「なん」であるかもしれないが、「とぶらひ」が未然形ではないので、これは考えにくい。「とぶらひ」は連用形だ。だから、連用形接続の助動詞の「な」に助動詞の「む」が付いた形かもしれない。
 しかし、そうなると、次の「と」が「ど」になる理由を説明しなくてはならなくなる。
 さて、あと一つ残る可能性は、「なん」や「と」にそれぞれに注目するのではなく、「なんと」全体を見つめ、これがどうして広辞苑では「なんど」になるのかということを追究した場合に出てくる結果だ。つまり、助詞の「など」と同じ意味での「なんど」という言い方の可能性だ。
 もし、この「など」という意味での「なんど」であると、成り立ちはともかく、ただの助詞一単語になるが、「なんと」だとすると、助動詞二単語と助詞一単語になって、意味合いも随分と違ってしまう。
 もちろん、広辞苑内の引用文といくつかの写本のテキストとを照合した場合に、その結果が食い違うものになってくるということは当然あり得る話だ。つまり、広辞苑がどの「撰集抄」のテキストを採用しているのかという問題に立ち返ってくるのだが、少なくとも、先に挙げた三つのテキストは過去の広辞苑編集担当者によって、何らかの理由によって不採用にされたことは確かだ。
 もし、広辞苑に引用されたような「なんど」とする写本が存在しなければ、誤植という辞書にあるまじきことだったと笑い話になって終わりだ。また、その写本があれば、それをもとに引用したということで話は終わりだ。
 昔の書物なのだから、写本の過程でいくつかの複数のテキストが生じてしまうものだ。しかし、だからこそ、それをどういう理由でどれを選んだのか、ということの筋は通しておく必要がある。編集時に、これをいい加減にしているはずはない。
 しかしまた、辞書がそれをあえて示す必要もないことも確かだ。それは辞書なのだから信用してよいという暗黙の了解があるからだ。また、紙面の都合があるからだ。もっとも、分厚い広辞苑は紙面の都合をそれほど考えているようにも思われない辞書だ。
 今後、何らかの原因で採用テキストを変更する必要が生じることが起こるかもしれない。辞書は研究書ではないが、こうしたことは問題として残しておき、そうした事態に備えておいてほしい。古典のテキストを用例として引用するということは、それだけの覚悟のいることだということだ。版を重ねるということは、見出し語をどのようにするかというだけを問題にするのではなく、用例についても適切なものを追求するという、利用者にとっては辞書の使い勝手を左右する問題に向かい合うということのはずだ。
 さて、広辞苑第四版も第六版も、どのテキストから引用したのだろうか。それがわかれば原典を確認するのだが。
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