名前だけは義務教育時代に覚えていたという単純な理由でだが、今年はユトリロ展に足を運んだ。たまたま無料チケットを手に入れたということもあるが、芸術にはあまり興味がないので、絵画展ぐらいには足を運ぼうという寸法だ。
絵画展の説明が脚色されたものでないとすると、ユトリロという人は本当に悲しい人だ。彼のような人生があってもよいものなのだろうか。
生きているうちに絵が売れるということは画家にとって幸福だ。しかし、彼の人生に絡む人々の強欲によって絵が売れ続けたユトリロの場合は、たとえ本人がどう言おうと地獄のような日々であったはずだ。
自らの創作意欲からではなく、他人から強制されての作業だ。芸術家としてのユトリロには苦痛以外の何ものでもないはずだ。その苦痛の日々から抜け出すには己を抜け殻にしてしまうしかない。絶望して死ぬことを神に許されなかった人間は魂をなくすしかないと思うのだ。
彼はアルコールに溺れ、治療の一環として絵を描きはじめた。これが画家としての出発点だという。ここから既に悲劇的だ。酒乱の果てには、善意によるものか善意とは別のものによるものかは別として、結果として警察の留置所の中でも絵を描くことになり、それがかなりのコレクションになったというのだ。ここまでくると、悲劇というよりも喜劇的でさえある。
「白の時代」のものは生き生きとしているといわれているが、僕はどの絵からも生気を感じとることができない。紹介された生いたちが頭にあるせいか、絶望の中でひたすら救いを求めているものばかりであるように感じられてならない。
それどころか、どうにも投げやりなものに感じる作品すらある。絵画の鑑賞眼など持ち合わせぬ身だが、いてもたってもいられない、どうにもここにはいたくないという叫びが画面ににじみでているように見える。自ら描く風景の小径を駆け抜け、どこでもよいから誰もいない路地裏へ消え入ってしまいたいという衝動を感じる。それは焦りと絶望からの逃避だろう。
精神は衰弱し、心の働きは本当はもう化石となって、彼のパレットにこびりついた絵の具になってしまっているかのようだ。
「色彩の時代」の解説の中では、街行く女性の下半身が強調されて描かれているのは、女性に対する彼の嫌悪感からであろうとされていた。しかし、本当にそうだろうか。
専門家は彼の人生や様々な資料からそのように解説するのだろう。しかし、なぜか僕には到底そうは思われないのだ。もう一度生まれ直したいという彼の願望が、描く女性の下半身を肥大させるように感じる。
このように、作品の一つ一つを簡単な解説を手がかりに鑑賞していった。解説に違和感を覚えるものもあったが、それはもちろん僕が無知で理解が浅いためだ。しかし、絵画鑑賞というものの本質は何だろう。
作品だけを一人歩きさせ、現在の自分に必要なものを感じとって味わう自由な鑑賞もあれば、絵描きの人生そのものや人生観、その人生観の背景にある世界観などを調べたり聞いたり読んだりして解釈する、その作品の確かな解釈を追究するなかで絵と絵描きを味わう鑑賞もあるだろう。
しかし、絵画鑑賞の目的を一人一人に聞いてみれば、おそらくは「有名な作家の作品展だから話の種に見に来た」とか「行くところがなかったので、たまたま開催されていた絵画展に足を向けた」とか「画集がたまたま家にあったので暇つぶしに開いてみた」とかいうのが実のところで、確たる目的意識を持って足を運ぶ人は美大の学生か絵描きしかいないのではないだろうか。
基本的には、絵というものは必要に応じて接していけばよいものだと思っている。本のように大量に出回るものではない。人が足を運ぶものだ。それだけに絵画展という企画は重要な意味を持っている。どのように作品を選択するか、どのように配置し、どのような資料を付加させるかは絵画展の意図によって随分と異なるものになっていくはずだ。
しかし、その意に反して僕たち一般人はふらりと気に入った絵を探しに出かけ、これと目をとめた絵にしばし見入って「何が描いてあるのかよくわからないけれどいい感じの絵だな」「よくこんなに細かく描いたな」「きれいだな」「大きいなあ」「やっぱり○○はいいなあ」などという程度に感心し、それで満足する。
しかし、事はそれでは終わらないだろう。絵画展は当然のことながら一定以上の高い評価を得ている作品を中心に構成されているから、それらに触れるということは目を肥やすということになる。目を肥やすということは、判定基準を明確に持つということにほかならない。その目は選択眼となる。絵と離れても身のまわりの物にそれが反映されることになる。果ては生き方にも反映していくことになると思うのだ。
つまり、最初は「ふらり」と絵に接近する程度から始まっても、後々は生き方に反映される何物かを得る目を持つにいたる可能性があるのだ。もちろん、直接それによって人生の達人になったり、豊かな人生となったりする可能性は極めて少ないだろう。
しかし、絵によって少なくとも気分が変わったり、何か特定の思い出がたぐり寄せられたりはする。手に入れて部屋に飾れば、ある特定の雰囲気を漂わせることもできる。
音楽に音楽療法というものがあるように、絵画にも絵画療法というものがある。これを逆手にとって、接する者に厭世観を注入したり、不安を植え付けたり、精神が錯乱しやすいようにしたりする効果を利用する攻撃も考えられる。これは絵画的な毒といってよい。恐ろしいのは、これらのうちの意図的でないものだ。
意図的な攻撃はターゲットが限られているが、意図的でないものは絵画的な毒が公の場にばらまかれていたり、家庭内で長期にわたって家族を絵画的な毒で汚染していたりすることになる。
気持ちの悪い模様や色彩の組み合わせなどはわかりやすいので、最初から採用されなかったり、排除されていくのだろうが、それと気づかぬ種類のものやボーダーライン上のものは排除されることはない。一つ一つの物はよくても、世の中はそれらがごった返しになっている。絵画の場合は額縁やそれに相当するものによってその関係性のうち不適切なものを断絶させるようにバリアをはっているから、絵画自体に毒がなければ問題はないが、様々な模様や色彩を持つ日用品も二つ以上の物が接近していれば、機能的には無関係でも絵画的にはそこに関係性が生まれてしまう。この問題点は意識的に解消しようとしない限りはなくならない。
絵に親しむ。絵に学ぶ。絵を味わう。絵をたしなむ。これまで僕は絵画というものに対して無関心であったように思う。同時に、心拍数や呼吸を不安定したり、めまいを引き起こさせたり、死にたくなったりする効果をもった絵画、あるいは精神に害を及ばす効果をもった絵画に対しても無防備であったように思う。また、すばらしい絵でも、最近再評価されているような食い合わせのようなものがあったりする可能性もあるかもしれない。
こう考えていくと恐ろしいのだが、それは楽しい恐ろしさだ。それは僕にとっては新しい種類の恐ろしさだからだ。
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