怪しい広辞苑230「一太郎の相棒、広辞苑から大辞林へ」

 ワープロソフト「一太郎」は毎年バージョンアップする。無駄なバージョンアップと評価する人もいるが、恐らくその人にとっては無駄なのだろう。日本語ワープロソフトとしてどのようなものを求めているかということは人それぞれなのだから、こまめにバージョンアップしている「一太郎」はできるだけ多くの日本語使いのために努力しているといってよい。利用者は好きなタイミングで都合に応じてバージョンアップすればよいというわけだ。
 これほど利用者のことを考えている様子がうかがわれるソフト会社が他にどれだけあるだろうか。バージョンアップの内容がどうあれ、理想の日本語ワープロソフトを追求する姿勢は非常に高く評価できる。常に未完成であるという意識の高さが経営陣にあるのだろう。
 二〇一一年のバージョンアップは一太郎「創」として発売された。特筆すべきは相棒となる連携電子辞書を二〇一〇年までは「広辞苑」であったものを、「大辞林」第三版の電子辞書版に変更したことだ。さすがにジャストシステムも「広辞苑」の未完成さに愛想を尽かしたのだろう。「広辞苑」の未完成さが(もちろん現時点での話だが)非常に迷惑な未完成さだということを深く理解したに違いない。人気ではなく、辞書としての実質的な内容を検討すれば結論はすぐに出たはずだ。
 しかし、ジャストシステムが最初から「大辞林」を選んで、「広辞苑」を選ばないという方針をとらず、まずは「広辞苑」を選択しておいて、後に「大辞林」に変更するという方針をとったことによって、岩波書店は大きな打撃を被ったことになる。文章作成という切り口から日本語を研究し続けるジャストシステムからの駄目出しが何を意味しているかを感じ取れなければ今後の「広辞苑」の存在価値は伝統的な辞書という以外になくなってしまうおそれがある。それでは困るのだ。 
 当然のことながら、「広辞苑第七版」の出来具合によって評価は変わる。多くの間違いや無数にありそうな感じを受ける不適切な表現内容や表現方法等をどのように訂正したり改善したりするかが問題だ。しかし、下手をすると大きなぼろを出すことになりかねない。広辞苑好きの僕にはそれが耐えられない。
 各分野の専門家に丸投げするのではなく、そこを出発点として辞書として編んでいくには何が必要かを常に考えて改善していかなければ、「広辞苑第七版」は魅力のない商品となってしまうだろう。専門家は辞書の専門家ではないのだから。
 バージョンアップというのは自己否定から始まる。比べるのは少し変かもしれないが、「広辞苑」は「一太郎」と違って自己否定しにくいわけがある。伝統と誇りがあるということとは別にだ。しかし、電子書籍としての「広辞苑」は少なくとも伝統と誇りを捨てて、毎年バージョンアップしてもよいではないか。大事なのは変更点をしっかり世に示すことだ。そこに活路が開けるかもしれない。この活路はもちろん売り上げでの話ではない。
 ジャストシステムにできて岩波書店にできないわけはないだろう。もしできなければ本当に怪しい広辞苑になってしまう。それだけは避けてほしいものだ。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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