恐怖シリーズ181「悲劇のキュウリウオ」

 「キュウリウオ」という魚がいる。絶滅するかもしれない「シシャモ」に姿が似ていることで有名だ。シシャモという名が世の中に通っているので、身代わりに食われているともいえる。キュウリウオとしては実に迷惑な話だ。衣をつけてフライにしてしまえば、一度も本当のシシャモを食べたことがない人は、これこそがシシャモだと思ってしまう。顔や胸びれの形が少し違うのだが、衣で隠れてしまうので、キュウリウオ以外の魚でも大きさが同じくらいで子持ちであれば文句なくシシャモとして通ってしまう。
 シシャモなど高くて食べられそうにないのに、簡単に手に入るのが不思議だと思わないのは、どうしてだろう。それほど日本人は食に関しておおらかだっただろうか。シシャモと書いてあるからシシャモだろうと納得してしまうのだから、言葉や文字に対する信頼度が高いことは確かだ。寿司ネタでも疑似ネタが多いのだからいいではないか、そもそも食にうるさい日本で流通しているなら、たとえ本物でなくても安ければいいではないかという、自己矛盾に満ちた発想もないわけではないからだろう。
 また、「キュウリウオ」はその名前のごとく、臭いがキュウリに似ているという。これも話題となれば、単なる好奇心でキュウリウオを指名して食う人間が増える可能性が出てくる。嗅いでみて、「なるほどキュウリの臭いに似てる」と言いたいがために命を奪われるというのだから、理不尽きわまりないではないか。どうでもよいことに金と労力を払うのが人間だ。だから仕方ないといえば仕方ない。
 とにもかくにも、身代わりで食われたり、好奇心で食われたりと、踏んだり蹴ったりのキュウリウオ。彼らもきっといつかは絶滅に瀕することになるだろう。「バランスよく食べよう」というのは、通常は個体の栄養バランスのことだが、別の意味もあるということだ。
 つまり、「幅広く食材を求めよう」ということと、「人間ばかりがものをたくさん食べないようにしよう」ということだ。
 ①嫌いなものも好きなものと同じだけ食べよう。「嫌いなものを食べて健康になろう」こんなコピーで「嫌いなもの健康法」を確立するのだ。
 ②常識的には食べ物にしなかったものも勇気を出して食べるようにしよう。毒でなければ、そして消化できれば、口にするのだ。そのための調理方法を確立するのだ。食文化によって規制されている食生活の自由度を高めるのだ。
 ③過食による人間の肥満を減らすため過食肥満税を創設しよう。その税収で飢餓状態にある人間や絶滅に追い込まれそうな生き物に食料を行きわたらせるのだ。
 キュウリウオには、似ていることによってもたらされる悲劇と、正当でない妙な理由で食われていくことの恐怖がもたらされた。では、食物連鎖の頂点に立つと自負している人間はどうだろう。次元は異なるが、やはり同様の状況にされされているとはいえないか。そうした絶望的な状況から逃れるにはどうすればよいのか。
 つまるところ、人と異なる考えを持ち、人と異なる行動をとればよいとは思う。しかし、それでは、これまでにない生活様式、これまでにない文化の創造に手を染めることになる。それはしかし、異端だ。例外なく排除の対象だ。そのように別の恐怖に陥ることでしか逃れられないのだとしたら、食われずとも「生きる苦しみ」を死ぬまで味わうことになる。信念を持たねば、生きていかれず、その信念を曲げねば、また生きていかれない。生きるということがそのようなどうしようもないことになってしまうのは、人間が人間であることから逃れられない以上、仕方のないことかもしれない。
 似過ぎてはならず、異なり過ぎてはならず。だが、食われなければよいではないか。人間の悲しい欲を満たすばかりではなく、自虐的な言い方をすれば、愛玩動物のごとく、観賞植物のごとく、仮初めの命を少し売って、保護される道も同時に選ぶのだ。そうした生き方を是とするか非とするか。答えはそう簡単に出せそうにない。「生きるということは悩むということだ」というような答えにならない答えの生き様が標準的な生き方といってもよいかもしれない。だが、ほかにも道はある。
 尽きることのない恐怖や悩み。とりあえずは、それらを恐怖と呼ばないことだ。そして、悩みと呼ばないことだ。これが人生だと割り切って、半分目をつぶって生きるもよし。このような人生でよいのかと問い続け、いろいろと行動を起こすのもよし。そう考えれば、大抵のことは受け入れられる。また、まやかしではなく、大抵のことは実際に解決できる。キュウリウオには申し訳ないが、どちらかといえば楽しく生きられると表現してもよい。これは阿Qのいう「精神的勝利」とは異なるものだ。地に足がついた人間的な生き方だ。
 次々と行動を起こして止まらなければよい。止まってしまったら、そのときには大きく目を開き、自分の生き方を振り返ってみたり、先を見通せばよい。そうこうしているうちに、また自然と行動を起こすことになるものだ。何とも単純なことではないか。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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