変な疑問132「読書は己をどう試す」

 電子ブックを購入してしばらくたつ。確かに、読書生活は変化した。学生時代は一日に一冊は読んでいたが、働くようになってからはその時間がとれないために、仕事で必要な書物以外は、書店での立ち読みを除いてほとんど読むことがなかった。これは重大な情報不足を招いた。持ち前の情報だけで構築した物の見方で生きていくから、それはそれで不都合はないのだが、それは生き方という名の「偏り」によって正当化されるものなのだろうか。いや、正当であるか否かは問題ではない。
 やがて仕事から離れたときがくる。そのときまで、「偏り」に矛盾がなきよう、その延長線上に目標を置き、その延長線上に沿って不都合なく生きていくのだろうか。それはそれでよいのかもしれないが、その後はどうなるのだろう。こう思って電子ブックを購入した。
 学生時代に読んだ本、学生時代に読めなかった本、卒業後、真の読書習慣が身についていなかったために読めなかった読むべきだった本、そういうものに触れることができそうだ。いつでもどこでも、一冊(?)で無数の本が読めるというのは大きな魅力だ。
 「偏り」をどのように埋め合わせるか。それが問題だ。これは試行錯誤でどうにでもなる。ただ、そこから先は限界がある。その先は、「いつでもどこでも書き込める」道具が必要だ。ノートパソコンは手軽とはいえ、本当の意味でポータブルとは言いがたい。だからといってその他の端末では入力しにくい。
 そこで埃をかぶっていたポメラを使うことにした。電子ブックとポメラを小バックに詰め込んで生活しよう。カメラは携帯電話についている。足らないのは時間だ。これは重大な問題だ。
 一日の中の隙間時間を有効に使っていけば、何でも並行して進められる。だが、それは作業能率の問題を解決するに過ぎない。
 何でもない、ある程度まとまった時間、その時間そのものが必要なのだ。その時間が生み出すものは果てしない。果てしなく広がっている何でもない世界だ。そこには甘い風がそよ吹いている。踏みしめる大地がある。戦う相手がいる。
 さて、この人間はどこまで何をするのか。いったいどんな志を持っているのかが試される。試されないことの幸福。試されることの幸福。それも疑問だ。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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