恐怖シリーズ223「法医のL氏」①

 慣れというものは、視覚的な刺激や肌で感じる存在感、そうした感覚自体が鈍感になっていくということと、もう一つは内なる解決が巧みになること、この二種類のことが同時に進むことなのであろう。
 彼は人体解剖を通して、自分にとっての解剖医という仕事のもう一つの意味を初期の段階で知ったのかもしれない。今は、解剖医となったことが、自分を救ったと彼は信じている。
 L氏は解剖医と呼ばれるよりも、最初は法医と呼ばれるのを好んだ。外科、内科、耳鼻科という名称は、治療される人が自分の意思で選択するとき、「科」を選ぶという意識でつけられたに違いない。だが、解剖医の世話になるのは自分の意思ではない。医者に全てが委ねられているのだ。何科かを選択するのではない。否応なく解剖されるのだ。だから、解剖医という名称となったのだろう。間違いではないが、解剖するだけなら、解体士でいいではないか。目的なのか、手段なのかが判然としないような名称は、早く変えるべきだとも思っていた。
 死して語らずとはいうが、遺体は遺体として語る。それを探らねばならない。死んではいるが、全面的な信頼を受け、死因等の追究に専念して正しい結果を出すこと、それがL氏の矜恃とするところだ。
 L氏は給料のことを話題にされたとき、いつも思う。法医となって良かったことは何だろう。
 患者が薬を真面目に飲まなかったからとか、患者が診察に来るのが手遅れになってからだったからとか、前にかかっていた医者の治療が悪かったからとかなどと、言い訳をする必要が全くない。お前のせいであの子は死んでしまったなどと恨み続けられたり、裁判沙汰になったりすることも絶対にない。患者を研究のために使ったのかなどと誹謗中傷されることもない。何気なく発した一言が患者の気持ちを傷つけ、一生を台無しにすることもない。患者の好みを無視し、あてのない食生活の指導をしなくてもよい。看護士とうまくやっていくために神経を使わなくてもよい。近くにライバルが開業するという心配もない。少子高齢化の影響もほとんどない。やはり何よりも医療ミスの心配がない。そう思うと、いろいろな意味できつい仕事も、何となく乗り切っていけそうな気にはなるのだった。
 その人の人生にかかわる大事に直面するのが解剖医。だから、解剖という直接的な行為を頭に乗せて「解剖医」と呼ぶよりも、「法医」と呼ぶことにするよと、幼なじみに言われたことも思い出した。
 あなたが「解剖医」なら、外科医は「手術医」、内科医は「薬物投与医」と呼ぶべきじゃないの。「薬物投与医」が聞こえが悪いというなら、「内臓治療医」でどうかしら。そのようにかつて妻は言ってくれた。
 外科、内科、耳鼻咽喉科など、体の部分を名称としているに過ぎない。解剖医は人を相手にする。死んではいるが、全人を、そして失われた命を相手にしている。それは人生そのものといってもよいかもしれない。自分が出した結果は、その人の名誉を守ったり、遺族を発見したり、犯罪者を逮捕する手がかりとなったりする。だとすれば、「解剖医」という、行為を名称にするのはふさわしくないと、そう思うのだった。もっとも、彼は最初から解剖医ではなかったのだが。
 こうしてL氏は日々を死体と向き合って暮らしていた。そのはずだった。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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