心の断片393「首狩り族」

「首狩り族」

蛮人の
山から下りて
人を狩る

蛮刀は
ひゅんと横薙ぎ
首が飛ぶ

夜通しの
首酒壺で
夏うたげ

蛮人は
そして今年も
首を刈る

時流れ
大和とともに
血を流す

高砂と
呼ばれし無敵の
義勇隊

米英に
蛮刀ひとつで
打ちかかる

燃えさかる
大和の国に
命捧げる

*警邏中の警官が犠牲となることもあったという。三人一組で動くのだが、一人が後になったとき、音もなく現れ、武装警官ではあったが、首だけを持ち去るという素早さだったそうだ。人食いではないようだが、命懸けで偵察してきた者の話では、首をくりぬいて酒壺とし、その首の口から各人に酒を注ぎ回って宴をしていたという。日本の統治下にあっても、戦前はそうしたことがあったというわけだ。そうした文化なのだから、尊重しないといけないのだろうか。野蛮だから止めさせるのか。
 文明の人々も少し前は、大殺戮を繰り返していた。これはどう自己評価しているのだろう。追いやられた蛮人が祭りで少しだけ首を調達するのとは規模が違う。比較にならぬほどに、残忍で情け容赦なく、財産すら没収するのだ。首だけ持っていくのとは訳が違う。どちらが蛮人なのかわかりゃしない。いや、答えは明らかだ。高砂義勇隊は、彼らの血を継いで勇猛で無敵だったが、多勢に無勢、代殺戮の大好きな民族に命を奪われていく。
 実際には見たことのない映像が頭の中に巡るようになるのは、断片的知識を言葉と表現したからだろう。そのこと自体が僕の心を刻みあげて、それなりの形を作っていく。この果てしない営みがもたらすものは何だろう。
 それが人間の味(人食い関係ではない)となるのであれば、年を重ねるごとにその味は複雑になっていく。ある程度までは受け入れられるものであろうが、そうしたものも程度問題。範囲を超えたら、味ではなく、ただの癖、癖のある味といういうことになっていくのだろうと思う。

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どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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