日々雑感351「宇宙の謎を解く、もう一つの努力」

 なぜ、宇宙に生命体が発生したか。それはロボット技術の進展を見れば一目瞭然だ。宇宙の物質がロボット化するために、仮に生命体を生み出したのだと考えると面白い。
 地球で自由意志という不安定な要素をもたらされた人間やら、そうした人間と類似した運命を持つ、地球以外の異星人やらは、当然宇宙の姿、ある意味では仮の姿といってもよいが、その自由意志は、宇宙がより進化した状態となるための要素だとしてみるのだ。
 やがて生命は役割を終え、滅ぶなり、今と同じように細々と命をリレーするために生活を営むなりする。そして、生命体が生み出した、疑似生命体、つまり今のロボットがより完成されたものとして、存在感を示し始める。今の生命体よりも、高い運動能力や高い知力などを持ったものとして、生命体が成し遂げられなかった宇宙の意志を継ぐのだ。
 その疑似生命体としてのロボットも、やがて次の段階への進化を遂げるべく、生命体の発想を超える何らかのものを生み出す。人間がロボットを生み出したように、ロボットが自身の中に受け継がれている人間的発想を乗り越えて何かを生み出していくとしたら、面白いではないか。
 もちろん、長い時の流れを要するだろうが、ロボットは寝ずに働けるから有望だ。そして、基本的に死なない。研究が埋もれずに、確実に蓄積されていくから、人間が流行り廃れや偶然の事件等で紆余曲折しながら歩んできたのとは格段の差で物事が進展していくはずだ。だが、比較の問題なので、ロボットにとってそのようなことは、あり得ない。もっとも、疑似生命体としてのロボットが、進歩という名の、人間化という退化の道に紛れ込まなければの話だが。
 人間からロボットへ、ロボットからまた別のものへと、こうした連鎖を延々とつなげ、宇宙の意志をリレーしていく。宇宙が、存在という存在から、自らを進化させるために星々を発生させ、生命を発生させ、そこから何かわからない別の存在となっていく。
 その果ては何か。おそらく宇宙が宇宙でないものになっていくのだろう。今見得るもの、そして想像できる未来の姿は、そのための、一つの小さなステップなのだと仮定しよう。
 現時点での人間の貧しい発想では、神や神の世界、別の宇宙などというものしか思い描くことができない。だが、そうした宗教くさかったり、科学くさかったりするものとは異質の、今の宇宙を超えた何かに近づいていくのだろう。しかし、それが何のためなのかはわからない。それは宇宙の寿命を超えたスケールの話になっていき、人間の発想ではまだとらえきれない。
 ただ案外と、何のためとかいう目的や、有るべき姿とかいう理想などの、人間くさい発想も、もしかすると宇宙の意志とまったく異質なものではなく、類似するものであったり、関連するものであったり、何らかの段階の一部であったりするものでありそうな気がする。
 現段階の人間や異星人の科学技術のなすところ、その進展の延長線上や、現段階の人間や異星人の精神世界のなすところ、その進展の延長線上にあるところの、何か。まだ「何か」という表現でしか表現できない何かが、ものの滅びの彼方に生み出される。もちろん、生命もロボットも役割を果たし終えているだろう。ロボットやロボットが生み出したようなものならば、何らかの形で存在しているか、その痕跡ぐらいは残っているかもしれない。そこに郷愁を感じる必要は無い。やがて宇宙も役割を終え、何か別のものが始まるか、宇宙以外のものになるかもしれないとすれば夢がある。それは生命体にとっては地獄、悪夢の状況かもしれないが、夢には違いないだろう。
 存在が自己目的化しているように見える宇宙だが、そうではないかもしれない。これだけの証拠があるのだからといっても、宇宙が宇宙でないものになるなどというような、まさかと思われることほど、それを疑った方がよいように思うのだ。もちろん、それも含めて宇宙と名づけるのなら、宇宙は宇宙のままということになる。
 だが、まず名づけることが大事なのではなかったか。そして、駄目元の精神。遠い話であればあるほど、人間の直接の利益に絡まないものほど、捨て置かれるのだから、おそらくそこに大事なものごとが眠っていると見当をつけるのが妥当な判断だろう。眠っているという表現が人間サイド、生命体用の表現なので、適当ではないが、そのように表現するほうが人間にとっては心地よかろう。
 宇宙のことなんか学者に任せておけばよいのだが、任せっぱなしでは任せ甲斐がないだろう。任せるのは、その成果をいただくためだ。お互いに任せ合っているのが、今の人間社会なのだから、その成果をいただかねば割が合わない。
 専門家の書物を読む。専門家が専門家対象に書いたものは除外し、一般人対象に書いた者を読む。その読解力は、もちろん表現力の問題が大きいのだが、学校や日常生活の自己努力で磨かれているはずだ。
 そこからいただく数々の成果や新たな疑問、残された疑問はたいへん面白い。それを面白いと思った子どもが、将来は専門家となって謎を解決していくのだから、子ども向けの書物を著すことは、専門家の義務の中でも大きな割合を示すべきだろう。この努力を怠ることが、底辺の拡充を怠ることだ。この努力は、専門家だけの努力ではなく、その努力を支えるマスコミや政治家がその気にならなければ、無になってしまう。
 まずは科学の発展、科学技術の発展が当面の課題であるとするなら、まだまだマスコミと政治家の努力は少なくとも目には見えない段階だと言える。水面下の努力は、水面下の努力で終わらせていては、関心が持たれない。関心が持たれていないということは、最も致命的なことではないだろうか。
 個々の努力が無駄になったり、一時的なものになったりしないようにしなければならない。そのためには、まず広報することが第一歩だ。それは断片的なニュース的な取り扱いだけでは効果は少ない。「へえ、そうなの」「すごいね」で終わってしまうおそれが高い。番組でも最新科学の現状の紹介はするが、紹介や展望で終わっているのは、やはり時間が足りないからだろう。継続性がないのも物足りない。
 テレビ離れも次第に進んでいると聞く。テレビはメディアとしては大変優れているのだから、残されている課題は番組内容の質の向上だ。そのために、随分と頭を使っているはずだ。海外番組の中には優秀なものがたくさんあるだろうが、その上を行くような制作能力を、まだ日本は持っていると信じている。
 とにかく、研究職に従事しようと決意する人々が増え、しかもその質が高まっていくような広報のあり方や番組のあり方であることが、今以上に望まれる。先を越されている分野が増えてくるようでは、資源なき国、最も高齢化が進む国、少子化によって立ちゆかなくなる国、そうした日本の将来は暗くなってしまうからだ。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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