変な疑問163「西方浄土ってどこなの?」①

 仏教でいうところの「西方浄土」とは何か。それは地表のどこから見て西の方向にある地域なのだろうか。それは行けばたどり着くことのできるところなのか。これがお釈迦様の言葉なら、その言葉を発したインドのどこかから見ての西の方なのだろうが、そして、いったいどの程度離れた西の方にその地域はあるのだろうか。
 もちろん、それは特定の国や地方ではなく、文字通りに判断をして「西方の地域のすべてが浄土」ととらえるべきなのか、それともごく普通に常識的にな判断をして「これより西方のどこかにある地域としての浄土」とらえるべきなのか、という問題もある。ここでは取り敢えずは常識的に後者だろうしておこう。
 そして、例によって、どうでもよい「おばかな疑問」には、「おばかな回答」をしていくことにしよう。調べるのはそれからだ。すぐ調べると、本当のお馬鹿になってしまう可能性がある。
 曲がりなりにも仮説を立てるための、推理トレーニングをしていないと、さまざまな学者によって解釈された歴史や部分的な事実を真実の報道とするマスコミの思うがままの世界が築き上げれていくからだ。
 頭から良心的に疑うことを、何者かたちが「頭から否定すること」と同一視して批判し始めた時が、この世の終わりの始まりとなるだろう。つまり、新しい世の始まりだ。その新しい世が望ましいものとなるか、一部の者たちだけに望ましいものとなるか、その瀬戸際ということだ。
 さて、「西方浄土」は、時折に耳にする言葉で、比較的なじみが深い。だが、冗談のような話だが、「さいほうじょうど」と、初めて聞いたときは、「裁縫上手」と聞き取ってしまい、何だか話がおかしいぞと思ったことを覚えている。
 この「西方浄土」は、お釈迦様がそう信じていただけのものか。それとも、お釈迦様以前から、たとえば民間信仰などによって言い伝えられていたものか。それとも、お釈迦様が「嘘も方便」などと思って、弟子にただ信じさせていただけものか。それとも、バラモン教の受け売りに過ぎないものか。
 また、それは宗教的な現実のモデル地区なのか、それとも宗教的な理想、想像上のモデル地区なのか。
 どちらにしても、単にたどり着けずに戻るか、あるいは行き倒れになるか、それとも、どこかの土地に組み込まれてしまうか、あるいは、たどり着いたと勘違いするかだ。生きてはたどり着けぬということになれば、死んでから行くところということになる。
 民間信仰的な「天の星となって上から見守っていてくれる。」という感覚は、夜だけのことではなく、昼もだ。どちらかと言えば、意識のない夜に見守っていてくれるよりも、活動している昼の時間帯、つまり星が見えない時間帯に見守っていてもらいたいはずだ。絶対に昼に重きが置かれているはずなのだ。それとも、夜眠りに就いて意識がなくなって無防備になるから、どうかお空で見守っていてくださいという感覚なのだろうか。
 確かに、古い昔、住居が不完全で、夜がまだ恐怖の時間帯であったころは、そうした感覚であったかもしれない。だから、そうした感覚が伝統的に残っていった、つまり、仏教成立の中で宗教的には抹消されていった感覚だったが、日常生活の中では、生活感覚的に残っていった感覚なのかもしれない。
 だが、この感覚は、昼は星が見えなくても、実は太陽の光が強烈であるために見えないだけで、本当は星が輝いているという認識の上に成り立っていたとすると、天動説的なものとなる。お釈迦様の時代の人々のこうした感覚の実際というものは、何か記録に残っていないものだろうか。
 インドあたりの緯度では、夜の天空の星は、極地と異なり、北極星をほぼ中心として頭上で回転するのではなく、どんどん西へ西へと沈んでいく風景になるはずだ。だからといって、夜中にありとあらゆる天の星々が西の空に沈んでいき、、日中は大地の下からから見守っていてくれると感じる人はいただえあろうか。いたとしても、それが人々の一般的な生活感覚として成り立っていたかどうかが問題だ。
 だが、およそ天の星が全て西の方へ行く風景を見せる地域で生まれた宗教が、「西方浄土」を唱えるのに不自然ではない夜の風景を見ていた人々によって育まれていったことは案外と確かなのではないかと思う。おそらく不眠症か、夜寝ないという修行を積んでいる人によって言われ始めたことだろうけれど。つまり、普通の生活感覚ではないということだ。
 ここで、二種類の生活感覚が対立することになる。それは、何かの例、あるいは象徴であって、生活感覚の対立だけの問題ではなかったのではないかと想像する。
 根拠はないが、お釈迦様も普通の生活感覚ではなかっただろう。修行に次ぐ修業の時代、求めずして身につけた感覚、一般人とは異なる生活感覚。インドが極地にあり、お釈迦様が修行の過程で夜な夜な、あのように頭上でぐるぐると回る天の星々を見ていたら、そこに恒常性の高い安定感のある浄土を重ねていただろうとは考えにくい。おそらく、回転の中心に何か意味を見つけ、別の宗教を編み出したに違いないと思う。その土地土地の宗教だ。
 この大地にすむ人々を、日中は天の極楽から、つまり空の上、つまり上空の方向から、ありがたい存在が見守っているという感覚が、日本人的な生活感覚ではないだろうか。それは仏教的ではなかろう。にもかかわらず、仏教の国というところが多面的で融通が利くところなのだろう。
 さて、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」では、お釈迦様がカンダタに蜘蛛の糸を垂らした。それは朝だったが、その問題は置いておき、極楽浄土にいるはずのお釈迦様は、下に糸を垂らし、カンダタはその糸をのぼって地獄から脱出しようとする。少なくとも芥川龍之介の時代、明治時代では、仏教的なお話のなかの浄土、それは一般人を対象に書いたものであるから、一般的な生活感覚としての浄土の方向が描かれるはずで、上にあるものとしてのイメージだ。
 いやいや、西の方に浄土はあるのだ、その下に地獄があるのだという声も聞こえてきそうだが、すると、「西方浄土」という感覚と同時に、「西方穢土」あるいは「西方地獄」という感覚を持たねばならないことになる。それは聞いたことがない。つまり、「西方浄土」ではあっても、地獄は西方ではなく、大地の下にあるという感覚をもっているのが僕たちなのだ。そして、夜は空から星になった故人が見下ろして見守っている世界、日中はお天道様が東から西へ移動しつつ、見守りつつ、監視している世界、それとは別に、さらに天の上から神様が見守りつつ、監視している世界、しかも、さまざまな物に何かが宿り、力を発揮している世界。そうした世界に僕たちは暮らしているという感覚をどこかで持っていると思うのだ。これは日本人だからかもしれない。だが、お釈迦様は日本人ではない。僕たちが見ていない物を見、していない経験をし、考えないことも考えたはずなのだ。
 もっとも、お釈迦様がおっしゃったという「西方浄土」が本当ならば、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくるお釈迦様は、本当は極楽浄土にいらっしゃるのではないかもしれない、あるいは偽物のお釈迦様かもしれない。何しろ日本人が描いたものだからなあ。
 ちなみに、 「西方浄土」の存在を言葉通りに信じて出発し、行き倒れた人も居るかもしれないから、もしかすると、西に向かって手を合わせるのは、そうした人々の冥福も祈ってのことだった、ということかもしれない。可能性はかなり少ないけれど、そう思ったほうが何となく少し不気味だけれどロマンチックではないか。
 さて、「西方浄土」はこのようなものではなく、単に宗教的な説教上の「単なる何かの比喩」なのかもしれない。あるいは、「宗教仲間の合い言葉」や「スローガン的もの」なのかもしれない。つまり、あまり大きな深い意味は無いということかもしれないということだ。
 そもそも仏教以前の民間信仰的なものに端を発したものなのか。それとも仏教オリジナルものなのかということは気になる。仏教オリジナルということが、もしお釈迦様オリジナルかもしれないということになると、個人的なものが関係してきそうな気がするからだ。
 とにもかくにも宗教に詳しくないから疑問百出だ。不勉強というものは本当に恐ろしいものだ。
 仮に実際に存在する地区だと想定して述べ、弟子に信じさせたものであったとしても、「西方」とはまた随分と大雑把な表現にしたものだ。
 それを文字通り「西方」だととらえたとすると、「西方」という発言があったときにいた場所、すなわち「この地」から、緯線に沿って一周地球を回った後の「この地」が最大限「西方」へ行き着いたところだ。そして、さらにその西方が、その「西方」の果てということになる。実際には一周して元に戻る真っ直ぐのルートなど地球にはないのだが。そして、できたら緯度の高い地で「西方浄土」と言ってほしかったものだ。究極的には極地ではどうか。そこはそこ自体が「西方浄土」と言えるのかもしれない。それがおかしいのなら、使用する地域が限定的な語句として、緯度の範囲を設定しなくてはならない。
 もっとも、極地では太陽も含めて星々の動きがインドとは大きく異なるから、「西方浄土」という言葉は発生しないだろうし、宗教的にも仏教が今あるような仏教ではないものである可能性がある。その土地土地の宗教ということだ。
 このような妙な事態を避けるために、「この地」に再び至る、つまり地球を一周するまでの途中のどこかにインドから見ての「西方面」にあるどこかの地域があるはずだと了解して安心し、そこに行こうなどとは思わないのが正しい宗教的態度であるとしておく。これが「西方浄土」に対する正しい態度のあり方ということになる。だが、それはそれでおかしな話だ。
 もしかすると、その地に戻るまでの全ての過程が「西方」、ということになるという了解でもよいかもしれぬ。
 「西方浄土」が、お釈迦様の最後の冗談だとすれば、許されることかもしれないが、お釈迦様という立場は、下手に冗談が言えない立場であるはずだ。
 そう思って、文字通り真に受けた弟子もいただろう、その「西方」をどうとらえ、どう向き合おうとしたのか。そして、時が流れ、現代に至るまで、それはどのようなものとして存在し続けたのだろうか。あるいは、変化してきたのだろうか。こうした一つ一つの疑問が頭の中で漂い始める。
 さて、ここまでは、「西方」を地球の緯線の方向に見つかるところの、特別の地域だと想定した。もちろん、緯線の方向だから地球の表面上の最短距離ではないけれど。
 しかし、地球の緯線ではなく、経線のほうに注目した縦の線の動きとしてみた場合、それは線が動いて面となり、スタート地点に戻る直前までは、地球上のどこもが「西方」だということになってしまう。それはそれで一つの考え方ではあるかもしれないが、どこかで聞いたことのあるような話になってしまう。もちろんこれも、そうした地球の経線を意識した考え方が当時にあったかどうかということが問われる。

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どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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