恐怖シリーズ238「短歌殺人という完全犯罪」

 寺田寅彦氏の随筆「俳句の精神」によれば、「俳句を詠む者の自殺者は皆無なのに、和歌を詠む者の自殺者は非常に多い。」らしい。
 少し長いが、以下、同書より引用、「俳句と比較すると、和歌のほうにはどうしても象徴的であるよりもより多く直接法な主観的情緒の表現が鮮明に濃厚に露出しているものが多いことは否定しがたい事実である。そうした短歌の中の主観の主はすなわち作者自身であって、作者はその作の中にその全人格を没入した観があるのが普通である。しかし俳句が短歌と違うと思われる点は、上にも述べたように花鳥風月と合体した作者自身をもう一段階高い地位に立った第二の自分が客観し認識しているようなところがある。 (中略) 私の知っているある歌人の話ではその知人の歌人中で自殺した人の数がかなり大きな百分率を示している。俳人のほうを聞いてみると自殺者はきわめてまれだという。もちろんこれは僅少な材料についての統計であるから、一般に通用される事かどうかはわからないが、上述のごとき和歌と俳句との自己に対する関係の相違を考え合わしてみるとおもしろい事実であろうかと思われる。いかなる悲痛な境遇でもそれを客観した瞬間にはもはや自分の悲しみではない。」とある。
 なるほどと思う。確かに、俳句は小さくとも大きな世界と連なる何か新しい世界をひらき、その中に自分を置くような超然とした態度が養われそうだ。それに対して、短歌はどのような情動であれ、それが募って結晶化される傾向があるように思う。
 すると、短歌と俳句は、ある一定の時間的感覚、順番、作数などを工夫して、全体としてバランスをとらねばならないことになる。短歌だけ詠んでも不都合があるように思うし、俳句だけ詠んでも不都合があるように思われる。どのような句風をしてバランスをとるかは、個々人の状況によって異なるに違いない。これは「俳句・短歌による精神衛生確立論」なるものの可能性を秘めているように思う。
 今後、寅彦氏の文章を詳細に読んでいく必要がありそうだ。だが、「両刃の剣」ということを常に考えるべきだ。この「俳句と短歌」の問題も例外ではない。
 短歌は己の情感を焦点化して際立たせる。一つのテーマで連作すればなおのこと情感は高まる。また闇にも深くはまり込んでいく。恐るべきは、この本を読んだ者が、ある者に対して殺意を抱いている場合、寅彦氏の考え方を応用して完全犯罪を目論みそうだということだ。
 それはすなわち、通常なら記憶のかなたに消えていく情動を、極めて心に刻まれやすい短歌という形で五七五七七という線的な結晶化したものを毒として利用するものだ。
 この線的結晶を目の前に並べていくとどういうことになるのか。表現を工夫すればするほどに、類似した結晶が目の前に積もっていく。次第に自分の周りに積まれるようになる。そして、自分が吐きだしてた五七五七七が編み目のようにイメージとして連なり始め、やがて立体的に絡み合い、そして己をその中に置き、まるで繭のように埋もれていく。やがて内側から補強するように密閉していくのだ。
 己の吐きだしたものから逃れられなくなるのだ。そのとらわれは、あらゆるものに影響を与え、一定方向に全てが傾いていくようになる。
 こうした営みが日常化するように仕組むのだ。しかも多方面で焦点化させてやる。己の中で何かに鋭く反応するようになる。そうして特異な反応をするものを増やしてやる。テーマの展開を工夫して導く。そのための語句の選び方と用い方を分析する。つまり、自己嫌悪、自己否定の気分を際立たせ、固定化し、虚無感に陥るプロセスを組み、疎外感を自ら求めるように仕組む。これらは言うよりも行うほうが容易な感じがする。
 こうしたマイナスの気分を効率よく醸成させるために同様の傾向を持つダミーを沿わせる。ダミーには対象者の心の支えとなるように振る舞わせる。恐らく、そのダミーは目論む者がなるだろう。大きな支えとなるように精神的支援を継続的に行い、依存させる。そして、離脱する。自分を見つめさせるために、鏡を提供したり、短歌の本を贈呈したりするなど、物理的にも環境を整える。どうした短歌を褒めたり、感心したりするかを考えながらつきあう。
 次第に短歌が趣味となるように導き、仲間を増やす。そんために、対象者の俳句に首をひねり、短歌には感心する。それが最終的に自殺に追い込む努力であるとは、何と恐ろしいことだ。
 時間はかかるかもしれないが、このような陰謀は通常の行為として評価されながら、相手を蝕んでいくのだから恐ろしい。この作戦が自分に向けられたときの予防策を今から考えておいても損はないだろう。俳句や短歌は投稿を継続するなかで、案外と小さな賞をもらったりすることがあるものだ。まずそうした投稿を避ければよいということだ。もし、入賞しても他言は無用。これが基本的な予防態度となる。可能性は一つでも潰しておくのがよいだろう。
 さて、自殺を予防する効果がありそうな俳句であるかもしれないが、薬は扱いようで毒になるものだ。したがって、「俳句を利用した完全犯罪」もありうるのではないか、と考えて工夫してみることが、逆に自分を滅ぼさぬようにする予防の方法を見つけ出すこととなるだろう。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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