いじめが原因で自殺するという痛ましい事件がよく起こる。例によって「いじめた奴」は報道されない。これが「早い者勝ち」ならぬ「いじめた者勝ち」の風潮を作っている。だが、理由があって報道できない。因果関係が不明確だという理由、まだ未成年であるという理由、その他さまざま理由は、つけようと思えばどれだけでもつけられる。それはそれでよいのかもしれない。だが、それが理屈だと感じてしまっているところに問題がある。
これがいじめ問題を解決できない大きなハードルとなっていると思われるが、誰もそれを言えないという滑稽な状況となっているのが現実だ。そして、誰も触れようとしない。言えない、触れようとしない、その原因となっているものがあれば、それを変えたらよい。変えないから悲劇は続く。何かにとらわれているために、こうした重大な問題を、親の問題だとか、教育の問題だとか述べるだけで、実質的に看過している輩が、どこか安全地帯にいて、僕は立派ですという顔をしてすましているからだと、直感する。
「いじめた加害者」「いじめられた被害者」が双方大人の場合は、ハラスメントという言い方をよくする。そうではない場合と、この場合とを区別する何か訳でもあるのだろう。だが、いじめ問題にしても、ハラスメント問題にしても、人権侵害問題なのだから、「人権侵害」というわかりやすい直接的な名称に統一し、いわゆる人権屋さんたちも、加害者が被害者に対して行った人権侵害の実態を責めるとともに、新たな被害者を出さないような活動をせざるを得ないような流れを作っていくことが、この問題全体の解決の第一歩となるべきだと思う。
加害者の人権擁護ばかりに回っていた人権屋さんでさえ、加害者に人権を剥奪され、自殺を選択するところまで追い詰められた、悲惨な被害者のことを考えるところまで成長したんだという衝撃を、世間に与えるというショック療法だ。すると、「みんながいじめてるから、いじめても別にいいんじゃないの」という感覚をどこかに持っていたため、「自然といじめに荷担していくようなレベルの人」から、そうした人を増やしながら、その後をついていく「影のいじめリーダーのようなレベルの人」までが、「あのような人たちも僕たちを責めているんだから、ぼくたちってもしかするといけないことをしているのかもしれない」と気づき始めるのではないか、と思うのだ。
すると、「だけど、そのいけないことが楽しいだな」と感じてしまう異常な感覚の持ち主以外は、そして「いじめ仲間」以外に仲間を作れない者以外は、彼らが構成していた「いじめの構造」から、次第に抜けていくだろう。
次に、「これまで加害者の人権ばかりを擁護してきた人権屋さん」に限らず、また、その他の「いじめ問題解決の関係者」に限らず、「世間一般」が、事件を未然に防ぐための実質的な行動をとることが、「いじめによる殺人」や「自殺するまでいじめるというスタイルの殺人」、つまり「殺人そのもの」と、「間接的な殺人」、その両方の犯罪を、ある程度は抑制するだろう。不完全で大きな期待をかけることはできないが、一応為さねばならぬ予防のための対策となる。これが問題解決のための第二歩目だろう。
次に、他人をいじめることの罪に覚醒した「普通の感覚の人たち」が抜け去った後の「いじめの構造」に取り残された、今後加害者となり得る人の行動を、抑制していくことが大事だ。そうした活動を展開せざるを得ないような、法律やら仕組みやらを作ろうとしないところに、司法と行政の罪がある。法律、習慣、教育、文化、そうしたものが知らず知らずに作っているハードルを乗り越えて、特別なものを新しく創り上げないと、「いじめ問題」に対応する諸機関が現状のままでは、問題は永遠に解決しないばかりか、よりいっそう深刻な問題となっていくだろう。
特に、「いじめ」は悪質な犯罪だから、そのように認識するように育てるところから始めなくてはならない。「いじめてません。ふざけてただけです。あそんでただけです。」と釈明しようとしたとき、「そのふざけやあそびが犯罪につながっていく可能性が高いのです。」と、周囲の大人が一様に声をかけることができるような環境を、社会の中に創り上げるところから始めないと、大人や子供の「いじめ」は根絶できないと思うが、どうだろう。これが第三歩目。
警察も「事件になってないから動けません」という奇妙な理屈を、そろそろ捨てるときが来ていると認識しているのではないだろうか。体質改善する動きにはまだならないかもしれないが、そういう感覚自体は生じていてもよいはずだ。
「いじめ問題」、もっと明確に言えば「いじめ自殺」に至るおそれがあることを知りながら、結局は追い詰められた被害者が、死を選ぶしかなくなるところまで放置せざるを得ないのは、おかしいと思うのが普通の感覚だ。ストーカー問題も同じだ。警察に何度も相談してもらいながらも、結局は殺されるところまで放置しているのに等しい対応しかできないということ自体が、おかしいと思うのが普通の感覚だ。こうした普通の感覚が蔑ろにされるような仕組みや法律は、それ自体を変えていき、普通の感覚にそうものにしていく必要がある。このようなことができる立場にある人の意識改革が必要だ。国民のほぼ100パーセントがそのように思っているのに、なぜか絶望的に変えられないところに、この国の不幸がある。変えないことの責任追及をしようとしないからだ。
少なくとも、「いじめ自殺」すなわち「いじめ殺人」の問題に、こうした旧態依然とした態度で対応するのはやめなくてはならない。もっと人が死ななければ動かないのだろうか。何人自殺に追い込まれたら変えようとする機運が高まるのだろうか。
警察法の第二条の一項に「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」とあり、その責務を規定している。「いじめ」という人権侵害行為によって、その身体が傷つけられ、命が失われようとしているのを看過してはならないはずだ。「小事を看過し、大事を招く」という愚行を、本末転倒の理屈で貫こうとするのはなぜか。新たな被害者を生み出すようではいけない。犯罪を実質的に予防するための実質的行動が具体的とルことができるような、特別の法を作らねば、結局駄目なのだろう。警察の「警」、そして「察」の意味をもう一度かみしめるべきは誰なのだろう。その人の一声から、改革は始まるはずなのだ。
ところで、この問題がいつまでも好転しないのは、そしてよりいっそう被害者やその遺族が惨めになるのは、つまり二重に苦しめられることになる原因の最たるものは、いわゆる人権屋さんが、本来の、そしてより切実な被害者の人権問題にまでに、本格的に手を広げ、偏りなき本来の人権擁護活動をしないことだ。そのように追及されたり、実質的なしっぺ返しをされたりするようなことはあってはならぬことだ。しかし、このままで済むとは思われない。人の命がかかっている問題なのだから、早急に、そしてお得意の「声を大にして」の行動を、被害者のためにも、とるようになってもよいのではないだろうか。だが、どうしてか、そうした動きは耳に入ってこない。どうしてだろう。できることをしないのは、なぜだろう。
もっとも、いじめ被害者の関係者、あるいは当事者になるなど、身近な経験を持たない限り、急な宗旨替えなど「プライド」にかけて、しがたいことではあろう。だから、理解できなくもない。しかし、いじめられっ子による、いじめっ子に対する不当な逆襲は避けなくてはならない。ある転換点を過ぎたところで、そうした逆の流れが起こるのは、あり得ることだ。いじめられっ子は、何年か後にいじめっ子になる。それを恐れて、いじめに手を染めた者は、本能的に自殺まで追いやるのだろうとも思うのだ。
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