自己分析シリーズ47「小さな日記」

 昔々のフォークソング「小さな日記」ではないが、「小さな日記に綴られた」僕の過去が、「忘れたはずの過去」がよみがえり、そして消えた。
以下、天地真理バージョンの「小さな日記」
 実家整理の中でいろいろなものが発見されるのだが、この「小さな日記」は衝撃的だった。「忘れたはずの過去」というよりも、おそらく「忘れるための日記」だったからだ。一読し、当然のことながらシュレッダ-行き。
 長い年月を経た後、また僕の手の中に現れたタイムカプセルだ。内容は、十分に僕の内面を脅かすものだ。およそ縦12センチ、横7センチ、厚さ2センチほどのオレンジ色の表紙、トムとジェリーのデザインの可愛らしい日記帳だ。だが、前後、それぞれ約三分の一の頁が空白、そして中の約三分の一程度に日記が綴られているという不思議さ。どうしてそのようにしたのかは、今となってははっきりと思い出せない。途中の頁から書き始めた理由が示されていないから、どうにもならない。自分自身のことであっても、何でも克明に記録しておくということは大事なことのようだ。都合の良いように記憶を再構成しながら生きていくのが、人の常であるようだからだ。
 途中から書き始められ、途中で終わっている日記帳。中、数十頁ほどを費やして書かれた日記は、自分ながら几帳面な鉛筆文字でびっしり書かれたものだった。だが、書かれた頁の最後の数頁は、文字が乱れて終わっている。内容は、よくある青春時代の懊悩を中心とするものだ。書きぶりが赤裸々で自分ながらこれにも少々驚く。その「小さな日記帳」と一緒に、膨大なメモと数十冊の大学ノートが、取っ手の破れた紙バッグに詰め込まれて発掘された。かつても大量のメモは発掘されているのだが、まただ。度重なる引っ越しの中で、いろいろな場所にいろいろなものが収納されていくのだ。
 それはそれで問題があるのだが、透明ブックカバーが新品同様で時の流れを全く感じさせないオレンジ色の「小さな日記帳」を前に、僕はしばし呆然としていた。そもそも日記をつける習慣など、僕にはない。したがって、よほどの思いがあって記したものだということは言えるだろう。
 裁断処分する前に、題名やらキーワードだけはメモしておいた。これは後々に、自分の記憶が勝手に修正されていないかどうかを、チェックするための道具として使えそうだったからだ。ただ、キーワードというものは実に怪しげなものだ。どのようにでも解釈できる上に、どのようにでもつなげられる。だが、そうした性質を利用して、敢えて自分の記憶を都合の良いように辻褄合わせを行って修正して再構成するための材料にするという手もある。記憶が勝手に変わってしまう前に、自分の意思で組み替えるのだ。
 そうなると、若い時にどれだけの自前のキーワードを生み出していたかが、後の豊かな精神生活を決定していくということになりそうだ。もし、材料が数量的に貧弱であれば、調理方法を巧みにするしかないだろう。もっとも、何が「豊かな精神生活」であるかは別問題だが。
 記された言葉から、キーワード自体を抜き出すのは容易なことだった。だが、それは物騒で掲げられないから、題名の一部だけを記念に記しておこうと思う。そうしておくのも、恐らく将来的には意味のあることになるはずだからだ。
 それにしても、新品の日記帳だと勘違いしてしまいそうな、特殊な書き込み方だったので、そのまま確認せず、誰かにあげてしまうところだった。自分の中身が流出してしまうことを未然に防ぐことができ、本当に良かったとつくづく思う。ばらばらにして焼却処分したから、都合の良いように思い出し、必要に応じてかみしめたらよいと自分ながら思う。おそらく「忘れるために」書き記したものが、逆に「都合よく、よりよく思い出すために」使われるというのだから、何か少し妙な気もする。
 以下、題名の一部。
 「満員バス内で」「プロパンガスのこと」「交通事故」「不可思議な下宿仲間」「木の腰掛け」「布団だけ」「焦げる電気釜」「ミニ炬燵」「バイクに下着を干すな」「髪切り二人組」「まな板に歯ブラシをのせるな」「不思議な台所」「僕の鍋で下着を染めるな」「電球の羽虫」「赤だしオンリー」「無謀な冒険」「崖から転落」「行き倒れ」「立ち入り禁止区域強行突破」「山小屋ばあさん」「ずたずたコート」「ガソリンの施し」「恐怖、ダイナマイト爆発3分前」「値切る前に1000円にしてくれる」「担保のヘルメット」「猫の鍛え方」「葱坊主を育てよう」「保存食」「カーテンの人」「屏風売り」「枕元の食材」「野犬と闘う」「新聞勧誘員」「木刀」「断食一週間」「消火器実験」「県内一周」「勝手な改造」「遠い風呂」「遠いトイレ」「看病」「古戦場の夜」「バイクの下敷き」「一日一冊」「おりない麻雀」「まさかの感情」「知らない男からの伝言」「特殊アルバイト」「星見」「髪を少し切り取る」「眼鏡選び」「孤独がともだち」「ヒルクライム」「さまざまな訪問者」「蠅との対決」「からむ蛇」「物憂げな老犬」「別れ」「草取り」「最後の言葉」「もらった看板」「怪奇九大図書館」「ラーメン屋の怪」「引っ越し計画」 
 これらは、自分の不安感、先行きの不透明感、どう生きていけばよいのか、人とどう付き合っていけばよいのか、それらが心に与えるダメージと、それを何とかしようとする努力を客観的に記述したものだ。言葉のうえで、理屈の上で解消し、頭の中で堂々巡りさせないという精神衛生上の必要性から生まれたものだ。友達と騒いだり、酒を飲んだり、そんなことをして何らかの問題を一時的に忘れたとしても、そしてストレスの解消をしたとしても、単に解決を先延ばしにするだけでなく、よりいっそう問題をこじらせ、周りに迷惑をかけるだけでなく、何より自分が危なくなる、という思いが、この「小さな日記帳」の至る所から感じられる。
 ただ、中の三分の一に記述したという、不自然な記録の仕方については、いまだ謎だ。僕が僕自身の内面を正しく見つめるためには、この謎を解くことが非常に重要なこととなってくると、うすうすは感じている。

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どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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