日々雑感353「傍観者の利」

 久しぶりにいろいろなテレビ番組を見た。随分とわかりやすくなっている。だが、内容がない。もちろん、内容はある。だが、立派な内容がない。立派なものを見ていないと、立派なものを忘れてしまうのだ。立派なものを忘れると、努力の方向を見失う場合がある。これは恐ろしいことだよ。
 別にテレビ番組に依存する必要はない。どちらかと言えば、依存する危険性のほうを心配した方がよい。だが、自分を見失わないための材料は多いほどよいから、身近なテレビ番組も使えるのなら使った方がよい。
 毎日テレビを見ていた時期は、テレビ番組の変化を感じることができなかった。だが、間を意識的に開けてみるとよい。その変化がわかる。
 関係者は毎日のことなので、変化は直ぐにはわからない。渦中にあるから仕方ない。だが、傍観者はわかるのだ。人工的に傍観者になる必要があるのではないかと思うのだ。
 テレビ番組制作者は、通り一遍のリサーチや苦肉の策などに頼るだけではなく、自分自身が一旦傍観者になる必要があると思う。一時期、何もしない係とか、ぶらぶら係のようなものを作って、傍観者を人工的に作ったことがあった。
 今はどうか。それだけの余裕があるかどうか。それだけの勇気があるかどうか。それだけの謙虚さがあるかどうか。傍観者の利というものを再評価しないと、うわべの視聴率競争で消耗するだけの奇妙な職場となる。これは、この国の不幸の上塗りになりかねない。
 当然、これはお抱えモニターでは駄目だ。まず、自分できっかけをつかむ。そして、忸怩たる気持ちになるまで自省する。次に、真のモニターを知恵をはたらかせて手に入れることだ。視聴者をモニタリングして遊ぶのもよいが、まず己をモニタリングしなくては話にならないだろう。
 それが面倒ならば、民放ならNHKのように受信料で賄うスタイルにしてみるのがよい。当然のことながら、NHKのような一方的な徴収ではなく、自由契約によるものだ。それができないというのなら、一度番組内容とその質を見直さないといけない。そうすれば、視聴者のための「立派な」番組も増えるだろう。
 まあ、結局そんなことはできないんだけどね。それが悲しく辛いところだ。新しいタイプのケーブルテレビなら可能かもしれないが。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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