突然思い出したこと179「人類皆兄弟で終わらせない」

 「人類皆兄弟」という言葉を突然思い出した。「だから仲良くしよう」ということが趣旨なのだが、兄弟であればこそ喧嘩が絶えないのが現実だろう。だから、仲良くするのは難しいのだ。骨肉の争いだ。ゆえに、仲良くすることが尊いことになるのだ。したがって、「人類皆兄弟、だから相容れないところもあるだろう。でも、同じ理由で仲良く協力して頑張らないといけないんだよ。」というところまで言い切るべきだろう。
 さて、確かに「人類皆兄弟」なのだが、相容れないこそ「国家」という別居を果たしたのではなかったか。それが、平和に暮らすための知恵だったはずだ。国境自体を共有していることが間違いだろう。
 「人類皆兄弟」は確かにそうなのだが、そうすると「人類の親」を想定しなくてはならない。それは人類を人類に仕立て上げた人類ならぬ親であろうか。それとも、人類の祖先であろうか。その「人類の親」が登場するまでの間、兄弟間の諍いや無視は継続されるに違いない。だが、人類ならぬ親も、人類の祖先も、後者はもちろんのこと、前者も存在しないであろうと思う。
 遅かれ早かれ、「人類皆兄弟」である以上、残された兄弟同士、醜く対立しあって不幸な結末を迎えるしかないのだ。これを回避するには、「人類皆兄弟」という発想を捨てるしかないだろう。よその国から来た者は、兄弟ではなく、神のごとく、親のごとく接しよう。よその国から来た物は、舶来品とか、異国渡来とか、上等の物として親の形見のごとく取り扱おう。よその国から来た思想は、絶対的価値があるものとして親の遺言、家訓のごとく、有り難がろう。
 他国で成果を上げた者、他国で評価を得ている物、他国の常識的思想として、尊敬することが肝要だ。同じ地球で、そして異なる環境で、苦難を乗り越えていく者同士が尊敬し合うスタイルだ。
 受け入れ、評価し、尊敬する。そうした他国との大人としての接し方を、あらゆる国家が標準的なものとする日はいつ来るのだろうか。少なくとも日本では、そうした方式が成り立ちやすい、いいとこ取りの文化を歴史的に持っているから、まだましだろう。しかし、地続きの国々では、それにも勝る怨念が渦巻いていよう。「遠交近攻」とはよくいったものだ。そうした意味では、日本は他国と接する国境を持たない島国ならではの比較的好環境をもった国の部類だが、それは同時にまっとうな外交力を持ち得るに至らない文化を持った不幸な国としての運命をたどるだろう。そして同時に、国境を求めてやまない国境知らずの不幸を背負った国となるだろう。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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