変な疑問178「個人名でなく、北朝鮮という名称で非難する理由」

 北朝鮮のキムジョンウン委員長が六度目の核実験を実施した。しかも、水爆だ。これがきっかけとなり、人類の存亡にかかわる危機が訪れかねない。
 この暴走行為に対しては、どの国も非難している。なぜなら、民の志が高ければ、核保有国になることなく、早かれ遅かれ、豊かで尊敬される国を築き上げていくことができるはずだからだ。
 だが、金正恩委員長には彼なりの論理に基づくプランがあっての計画的暴走であるはずだから、国際的非難も全て受け流すだけのことだろう。もし、計画的暴走でなければ、単なる狂気ということだ。それはそれで恐ろしい。だが、日韓を人質に取られるようなことがあっても、相手が何でもありのアメリカであることを忘れてはならない。
 買いかぶりかもしれないが、押されているように見えているときのアメリカが最も恐ろしい存在であるようになぜか感じる。なぜだろう。
 さて、世間では、特にマスコミの報道では、一連のミサイル発射による挑発や実験、そして核実験に対して、どうして北朝鮮という名称を用いて批判することがあるのだろうか。
 これは、北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和国と呼ぶべきかどうかという問題とは別の問題だ。つまり、国として認めるとか、認めないとか、あるいは正式名称を使うか、通称を使うかとか、そうしたレベルの問題とは別の問題だ。
 一口で言えば、北朝鮮は独裁政治だから、ミサイル発射や核実験の責任は、トップに立っている個人にあるとしたほうが、より的確な指摘ではないかと思うのだ。それは、一人の独裁者以外は全て、その独裁者の手足の延長に過ぎないからだ。これは独裁政治をしている最高責任者である特定の個人が、相対する国と同等の存在になってしまうという、別の問題にもつながる。
 さて、本来は独裁者の名も出すべきところであるのに、北朝鮮という地域名に置き換えてしまうのは、やはり問題ではないだろうか。批判をするにも、その焦点がぼやけてしまうと思うのだ。独裁政治では、トップに立つ一個人の責任が特に重大だ。皆で決めたでしょ、だから皆の責任もあるんじゃないの、とはならない。自分が放った一言が、事によっては抵抗なく支配地域に行きわたってしまうのだ。
 これは相当に恐ろしいことだ。結局、過剰反応を招いて、バランスのとれない極端な結果に陥って失敗しやすくなる。そうした危険性が高くなるのを否定はできないだろう。
 ニュースでも何でも、北朝鮮という名称だけを無条件に使うのではなく、独裁者の個人名も併せて使うべきところは、それと判断して使うべきだと思う。特に、トップに立つ独裁者の重大な決断による行為については、そのようにするのがよいと思う。
 たとえば、「北朝鮮のキムジョンウン委員長」のようにだ。これを「北朝鮮」という三文字に置き換えてしまってはいないか。独裁者の責任を問うためにも、こうした安直な言い換えを避け、適切な表現で訴えることは、大事な習慣だと思うのだ。
 どの国も、バランスのとれた予算と、適切な執行力によって、国民の一人一人がそれなりの生き甲斐をもって比較的幸福な一生を終えられるように、組織されていなくてはならない。主義主張にかかわらず、それが国というものの素朴な姿であったはずだ。そこからかけ離れれば、かけ離れるほど、国と呼んではいけないものになるはずだ。
 世界の中で、まさしくそのような国だと胸を張って言えるのは、いったい何か国あるだろう。何となく、それほど多くはないように直感してしまう。なぜだろう。

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