突然思い出したこと180「最も信頼できる奴が最も怪しい」

 綱紀粛正ということで、最悪の場合、人が随分と殺されることがある。これは良いとも悪いとも言える。
 良いのは綱紀が粛正され、正しく組織が機能するようになることだ。悪いのは、より危険な状態を作り出す可能性があることだ。綱紀粛正で死亡した人々が、後釜に入った人々の罠にかかった可能性を否定できなくなり、さらなる疑心暗鬼に苛まれることになる。
 これは良くあるパターンだ。だが、最も恐ろしいのは、罠にはめたことではなく、イエスマンが周囲に集中することだ。民主主義国家が、こうした状態を最も恐れ、敢えて不安定なシステムを作り上げたことを忘れてはならない。
 柔軟な耐震構造と同じだ。大地震でも自ら揺れ動くことによって対応し、崩れることはない。しかし、揺るぎなく剛直な建造物は、小さな地震に対してはびくともしないが、大地震に遭遇しては容易に崩れ去るしかないのだ。自動車も同じだ。交通事故で自動車の壊れ方は激しくても、そのお陰で肝腎の人間は助かりやすく作ってある自動車もあれば、逆に、自動車が自らを犠牲にして壊れないために、肝腎の人間に強力な衝撃が加わり、無事では済まない自動車もある。設計思想の違いだ。
 組織とそのシステムを頑健にして強固なものとして崩れないようにするがあまり、結局は内部崩壊の危険性を高めるというリスクを選択する道もある。しかし、組織とシステムを柔軟にして崩れないようにするがあまり、結局は内部崩壊の危険性を高めるというリスクを選択する道もある。どちらにしても過ぎたるは及ばざるがごとしだ。
 どの道を選択するにしても、リスクが高まるのは、首脳部の周囲にイエスマンが集中するときだ。このイエスマンは従順で信頼できるが、わざと従順にして信頼を得ているいる可能性が高い。しかも、悪意あるなしにかかわらず、イエスマンは従順なだけで収まることがない。忖度甚だしいがために、組織全体を弱体化させる状況に導く。そんな例は小さな集団の中にでも、どこにでも転がっている。国家レベルであれば、影響も大きく、舵取り不能となる可能性もあるから恐ろしい。
 しかも、綱紀粛正を大規模に行った場合、その後に上手にすり寄ってくるものには大きな注意を払わねばならない。千載一遇のチャンスを逃すはずはないのだ。最も信頼のおける者が、最も裏切る可能性が高いと思うのだ。こうした危険な状況を招くおそれがある、大規模な綱紀粛正を敢えて行うには、それなりの理由が必要であることもさることながら、それ相当のリスクを負う覚悟が必要だということだ。会社にしても、宗教団体にしても、国家にしてもだ。

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どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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