日々雑感355「ちょろい」と「ちょろまかす」は無関係?

 いつも思うが、語源を最もらしく語る人に出典を求めても返答はない。語源などは普通は話の種になる程度のものだ。だからどうでもよいというのは乱暴だが、追究したり確認したりする人はほとんどいないのも確かなことではないか。
 責任をある程度負う形になる出版物で調べると、具体的な研究のないものについては、諸説あるなかで、その代表的なものを紹介するという形式のものでなければ、良心的な説明として受け取ることはできないだろう。
 しかし、今はネットで検索するのが手っ取り早いということから、勢いネット情報を鵜呑みにすることになる。それでは面白くなかろうに、話の種程度としての語源チェックなのだから、ネット情報で済ませても構わないという見方もできるだろう。
 語源は普段無意識に使用している言葉のルーツに光を当てるものだから、「へー」と感心したり、「なるほど」と納得したりすることになる。そして、意外性や歴史性を感じつつ、味わい深いものとしての言葉を再認識したりする。そうした意味では、真偽のほどは別として、語源文化的なものを認めてもよいように思う。
 元々証拠が薄いものだから、特に専門外のわれわれは、自然な言葉の変化に、語源説の確からしさを認めて、「そうかもしれないなあ」とか、「今までの説よりも確からしい感じがするぞ」とか言っていればよいのだろうと思う。とにかく、一つの説しか紹介していない語源解説の類は、眉唾物としてみる方が良さそうだ。
 そうした態度からは、新しい説の可能性を素人なりに楽しみながら想像するという「語源探索趣味」とでも呼ぶべきものが生まれてくるだろう。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式で、その中のどれかがより本当に近いということになりやすい。可能性を次から次に挙げていき、日本語使いの感覚から見て、最も確からしいものを有力候補としてランクさせておけば良いのだ。このランキングは人によって異なるだろうが、それがセンスの違いということだから、その違いを比較してみるのも、同じ趣味を持つものではなくとも、意味のあることだろう。
 さて、「ちょろい」という言葉がある。拗音を含んでいるので、元の形を想像する必要があるが、まずは「あまっちょろい」という言葉が浮かぶので、「ちょろまかす」と絡めて、その前後をつなげてみることにしてみよう。もちろん、根拠はない。
 意味の流れはこれでどうだろう。 「①日焼けしていない者 ②外に出てはたらいていない者 ③世間ずれしていない若者 ④人としての力量が不足している者 ⑤扱いやすい者 ⑥難なく御せる者 ⑦ごまかせば簡単に騙せる者」 
 それに対する言葉の流れはこれでどうだろう。「①生白い奴 ②なまじろい奴 ③なまっちろい奴 ④なまっちょろい奴 ⑤あまっちょろい奴 ⑥ちょろい奴 ⑦ちょろい奴をごまかして得をする ⑧ちょろをごまかす ⑨ちょろまかす」 
 さあ、ここに一説だけ捻り出してみた、一説しか示していないので、眉唾物だ。だが、確からしさが他の説と比べてどうなのかということは、個人の行動が起こるかどうかということにかかっている。そうした面倒なことをしなくては面白さを手にすることはできないのが世の中だが、さっさと「とある一説」を調べて、消費していくという傾向が強まれば強まるほど、頭が空っぽになっていくおそれがある。大人の場合は長年かけて空っぽになっていくので、実感し始めてからでは遅い。つまり、僕は少し対応が遅いということだ。危ない、危ない。その点、子供は直ぐにからっぽになるから、本人の周囲の大人が気づきやすい。これは恐ろしい速度でやってくるから、避けることができないかもしれない。
 最後に、ありそうにない説をもう一つ捻り出してみる。捻り出すのだから無理やりだ。しかも、根拠は例によってありはしない。たとえば、こういうようなのはどうだろう。「①軽く扱いやすい。からかいやすい。」「②嘲弄(ちょうろう)しやすい」「③ちょろい」
 これは、最初に捻り出したのより単純だ。つまり、その分だけ本当らしい。そして、「ちょろまかす」との関係は、前者の愚説とともに見いだせない。このことにおいて、一般的に流布している通説よりも劣る。ただ、劣ることと間違っているということとは同じではない。
 どちらの愚説も異説としては面白いのではないかと自負してもよさそうだ。しかし、異説は異説である以上、異説であることにおいて既に面白いのだから、自負するまでのものでもない。いずれにしても、正しかろうが、正しくなかろうが、いろいろと考えるところにまず意味がある。
 三つ目を考え出してもよいが、今のところ捻り出せない。だが、「ちゃらちゃら」「ちゅるちゅる」「ちょろちょろ」、つまりア段、ウ段、オ段の流れで紡ぎ出されている単語に共通する、「軽い感じ」を醸し出す意味が使えるかもしれないと、何となく思う。「軽い感じ」の意味合いを支えている音が、「簡単な感じ」の意味合いを支える音へと移行していくという現象がある。このようにでっちあげればどうだろう。簡単にごまかせてしまえる相手を、「ちょろい奴」と表現しても、何となくよさそうではないか。この方向でもう少し枝葉をつけられたら面白そうだ。
 何もそこまで無理やりにこじつけなくてもよいのかもしれないが、頭の体操だ。柔軟な発想を実現するためのトレーニングなのだから、よしとしよう。
 だが、最低十種類は生み出す力が無ければ、脳を使ったというほどのことにはなりそうにないので、そのうち捻り出してみようと思う。数打ち当たるはずだから、それだけの異説を出せねば、逆に本当らしさを示すこともできないからだ。とにかく、昔の書物にこう書いてあったという一点張りで、それを根拠とするのだけは勘弁してほしい。それでは、進歩も芸も無いというものだ。少なくとも、その書物に書いてあった内容の証明をしなくてはならないはずだが、たぶんそれは面倒なのだろう、そうした説明は残念ながら、まだ見たことがない。それは自分が十分に探してないからだけなのかもしれないが。まあ、ないはずはないだろう。
 もし、そうしたものがないとすれば、恐ろしい実態だ。最低限、説明されている書物をあげ、その説の根拠となる別の書物の有無を調査した結果を示したり、同時代の別の説を載せている書物を調査して比較するなどしなければならないはずだ。同時に、理論的に詰めることのできる点があれば、可能な限りそれを示すべきだろうと思うのだ。これは素人には荷が重いので、専門家がやればよい。どうでもよいと思っていた語源というものに興味が出てきたので、書物を当たって現状を見てみたい気がしてきた。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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