変な疑問180「いじめた奴の部屋で自殺しない理由」⑤

 いろいろなことをよく知らない子供であると、大人から認識してもらえそうな年齢であれば、そのことを最大限に活用し、大胆不敵にも罪を全面的に否認したり、小賢しくも一部の罪を認めなかったりするだろう。こうしたことは、たとえ年端もゆかぬ幼い子供でも、本能的に自己防衛のため、ゆえに極めて自然に、そして無邪気に実行する。そして、「すみません。罪になるとは知らなかったので、やってしまいました。」と。
 「子供は大人が思っている以上に大人、そして自分で思っている以上に子供だ。」とは、よく言われることだ。自己防衛だから、このこと自体は何も問題ない。だが、そうした行為によって誰かが不幸になる。それが問題だ。そして、自己防衛のため、反省がないことが最も問題だ。      
 さて、こうしたことは、最初から不可能に近い「それが罪に問われることだと知らなかったという罪」を新しく作り出そうとするとき、既に高い壁が立ちはだかっていることを意味する。
 また、いじめという事件が半ば法的に放置されているのは、学校というものが管理している空間で行われることが多いので、矛先が学校に向いてしまい、肝腎のいじめ実行者への対応が学校レベルになってしまうことにも、その壁がいっそう高くなってしまう原因がある。学校の管理のせいにしておけば、面倒な法整備をしなくて済むからだろう。
 法整備の責任を負うところは、そのうち、子供は卒業してしまうから問題は自然消滅するという腹なのではないかと勘ぐられるおそれがある。だが、新しく学校には子供たちが入学し、同じようないじめ問題が繰り返される。しかし、それも、学校の管理の下で起きたことということでやり過ごせばよくなってしまう。担当している学校の先生には申し訳ないが、繰り返し起こるいじめの対応に当たっていてもらえばよい、というような暗黙の了解がなされているところがありはしないかと思うほどだ。
 もし、いじめという人権侵害の果てに死者が出たらどうするか。それはそれほど多くは起こらないだろうという了解なのだろう。そして、マスコミが学校を叩いているうちに、子供は卒業し、学校の職員も短期間で入れ替わるから、問題が曖昧になっていくだろうという算段なのかと、このように勘ぐられてもしかたがないというような現状がありはしないか。
 裁判が起これば、自治体と被害者の遺族が法廷で闘争することになるだけで、あとは謝罪とお金の問題だけになるという腹づもりはないだろうか。こうしたことは実害を与えた子供やその親も十分に了解しているだろう。知らぬ顔の半兵衛を決めていればよいということになりやすい。
 こうした状況だけからみても、いじめ問題が解決しにくいことと、罪になるとは知らなかったという罪を広く認知してもらうところから始まる法整備などもってのほかだということがよくわかる。
 人権の守護神という自負を持っていそうな人権屋が、この人権問題をなぜか問題にしない。金にならないと思ってだろうか。それとも範疇ではないと決め込んでいるからなのだろうか。そんなことはあるまい。なぜだろう。
 子供のいじめという、実は凶悪な人権問題に対して、本気で大人が正しく予防したり、正しく対応するための法的環境を整備してこなかったのはなぜだろう。
 学校という社会の中で、いじめが起こるのは不可避だ。何も学校に限ったことではない。同年代の子供が集まれば、いじめの種はどこでも芽を吹き始める。この問題を学校自体で解決しようとするのが、どの子供も大切にしようとする良心的な者たち、すなわち教員だということも問題を難しくしている。加害者も被害者も、親身に世話をしたいと思っている対象である子供たちだからだ。もちろん、その教員の姿勢は重んじるべきだ。
 しかし、教員は、警察ではないのだから、その場限りの勢いで徹底的に絞り上げることはできないだろう。普通に考えれば、転校する必要のあるほどのダメージを与えていない以上、卒業するまで良好の関係、あるいは鑑賞しない関係を続けられるように試みるはずだ。その努力の間隙を子供たちは十分に知っているので、上手に立ち回ることになる。だから、理屈から言って、学校内では綺麗に解決するはずはないのだ。
 上下関係や斜めの関係がうまく学級の中では作られない。学級という特殊な集団の中では、通常はお互いがお互いを牽制し会うことによってバランスが保たれ、健全なグループが維持されていく。
 だが、このバランスを保つという、必要不可欠の大人レベルの高等な工作は、個々が分断化し、かつ幼稚化した今の時代にあっては、次第に困難なことになりつつある。そもそも親世代がその当事者だからだ。いきおい学級内でのカースト、スクールカーストが自然な人間関係力学で形成されるようになり、その中での仮初めの比較的安定的な位置に安住しようとする。そうした構造に依存しなければ、集団として成り立たないとでも言うのだろう。この体たらくはどうしたことだ。面倒なことは避ける。そうした姿勢が大きな面倒を巻き起こすことにつながるのは、永遠の真理だろう。
 個々の不断の努力、健全な忖度は、大きな共通の目標を持ったときに成立する。しかし、大きな共通の目標が失われているのが、今の学校や学級ではないだろうか。学力の低下ということが問題視されても、それは不幸なことに個々の競争に帰結していく。部活動で一丸となって優勝を目指そうということになっても、前提となるレギュラー争いは、結局は個々の競争に帰結していく。
 そうした中で発生するいじめにかかわった子供の恐らく多くは「いじめじゃなくて、じゃれてただけです。じゃれてただけなので、いじめていたという意識はありませんでした。だから、いじめられていたという気持ちになっているとは思いませんでした。知らなかったんです、僕たち。」という常套句を口にするのだろう。口にしなくても、心の中でそう思っている、いや思いたいのではないか。
 本当にそのようだった子供も問題があるが、本心は違うだろうと見当がつく多くの子供にはもっと問題がある。こう言っておけば当面の責任は回避できるだろうという雰囲気を大人たちが作ってくれていることは先刻承知だろうからだ。その根拠はいじめに関するニュースからの情報による。
 このようなことはアンケートを採ってもインタビューしても無駄だ。子供でも大人が思うほどに子供ではない。幼いながらも幼いなりにそつはなく、それが幼い者の共通の特徴として大人が認識してくれていれば都合はよい。もっとも、そのような計算をしているわけではなく、大人のほうが子供に対して幻想を抱いていると言ってよいだろう。そうした子供に対する様々な幻想の下に、アンケート結果やインタビュー結果を分析しても、何も正しく現状を把握することはできないだろう。
 やはり、そうした常套句としてのセリフ、あるいは、そうした意味合いのことを言った時点で罪となるようなものを作り出さねば、問題の解決は遠いということなのだろうか。大人を納得させる、あるいは納得したい、まやかしのセリフなど、子供でも他意なく簡単に口にする。それが成長して大人になり、大人社会でのいじめにかかわっていくように思う。だから、いじめると、とんでもなく後味の悪いことになるということを、幼いときから体験してもらうのがよいはずなのだ。普通は、自分がいじめられる体験を通して、他人をいじめなくなるというパターンなのだが、どうもそのようにいかないらしい。今度は自分がいじめる番だと思うのだろうか。それとも、いじめている間はいじめられないという臆病な気持ちしか持てないからだろうか。
 とにかく、いじめるととんでもないことになるという、その情報が広まれば、いじめの抑止力になるに違いない。抑止できないと、これまで自宅等で自殺してきた子供たちが、一段階進み、いじめの首謀者の部屋や玄関先で自殺し、呪いをかけるという、おどろおどろしい大変な状況を目にすることになると思うのだ。
 更に進んで、いじめの首謀者に対しての他者を介しての報復という、悲惨な事件が起こる前に、何とかしなくてはいけない。「まさか、こんなことが起こるなんて思っても見ませんでした。至急対策を立てます。」などという間抜けで愚かな答弁など、誰も耳にしたくはないのだ。墓石行政はもうたくさんなのだ。未然に防ぐということ。災害であれば、防災という意識が必要だ。備えあれば憂いなし。その備えを何もしないから、憂えている。自分がかかわる間に何もないことを首をすくめて祈っている。もしそうだとすれば、浮かばれないのは、いじめの被害者たち、自殺者たち。そして、次に浮かばれないのは、それを食い止めようとした親たち、そして学校の教員たちだ。
 誰かが犠牲になって叩かれ、そのことで子供たちの自殺、そして原因となる人権侵害のいじめが減少するような法的整備をし、実行していけばよいのだ。そうして誰かが立ち上がったときに叩く存在、それを皆で叩けば良い。なぜなら、それが人権侵害であるいじめをなくさない方向を形成していた存在に他ならないからだ。 
 では、どのようにすればよいのだろう。下地が大事だ。意識を含めた環境の変化をもたらす何かをしなくてはならないだろうと思うのだ。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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