変な疑問181「西方浄土ってどこなの?」⑨

 さて二つ目は、こうした種類の「宇宙との一体感」の対極にある、人間という宇宙の中の特定な状態を中心とした「宇宙との一体感」だ。それは、「宇宙の人間化」という方向性からもたらされるものだ。一つ目の「人間の宇宙化」とは真逆の方式だ。
 人間が人間のスケールでしかものを見ることができないという自縄自縛的な状態、と言って悪ければ、人間は人間という色眼鏡で物事を見て判断するのは当然のことだという状態、そこから起こるのが「宇宙の人間化」だ。人間中心の宇宙観もそこから生まれるのだろうと思う。宇宙は人間のためにある。宇宙は人間のために生まれた。そういう感覚だ。
 これは、見方によっては不遜な態度だとも言える。だが、自分自身の経験から得た人間としての認知において、物事を判断することしかできず、そうした偏向のために自分自身に煩悩を生じさせているようにしか見えないことがあるので、不遜なのかもしれないが、何か大きなものを背負ってしまった、小さな存在である人間の陳腐な姿も、そこには見える。不遜な態度と陳腐な姿。いかにもそれは人間らしいではないか。
 「人間の宇宙化」という感覚で生きていくのと、「宇宙の人間化」という感覚で生きていくのと、どちらが自由な存在であるかは言うまでもない。人によるのだ。
 どちらも自由な存在として生きていくことはできるだろう。語弊を恐れず言えば、前者は他力本願的な感じ、そして受動的な存在のしぶとい強さのようなものを感じる。同様に、後者は、自力本願的な感じ、そして能動的な存在の果敢な強さのようなものを感じる。
 両者は正反対とは言え、どちらの方向にも、見方を変えるだけで、何の苦労もなく、宗旨替えをすることが可能だと思う。出費も時間も不要だ。しかも、よくある宗教のように他人とのしがらみを作ることもない。
 この、一つ目の真逆の方向である、人間中心となる方向での一体化、そこからもたらされる一体感は、宇宙を人のほうに引き寄せて一体化するという発想だ。これは意識の上で、実際の宇宙の力を自分のものとして認識し、取り入れて応用しようとする方式となる。前者のような、「色即是空」的な諦めによる救済ではなく、「空即是色」的な
 これは超人的なものを感じさせる。とある宗教においては、宇宙を自分と一体化させるための特別の修行で可能となるのだろう。
 宗教においては、煩悩との絡みで言うと、宇宙の力を自分に取り込んで応用することにより、自分や他人の煩悩を砕くというイメージだ。また、科学においては、宇宙の力(身近な宇宙の力は地球の力。人間も含めた地球の現象に関わる力。)を解明し、人間の生活に応用できる技術に展開させることで、人の煩悩を癒やすというイメージだ。
 宇宙の力を借りる、つまり人本来の力を使えるようにする。主体は人という点で、先のパターンと対照的だ。語弊と誤解を恐れず、大まかで乱暴な分類をすれば、前者は東洋的な流れ、後者は西洋的な流れとも言える。
 物作りに関係していくので、時間と費用は膨大にかかる。しかし、時代の流れで消費していくために、それは人類の進歩としての価値を与えられ、好んで行われることになる。これが極まると、色即是空ならぬ、空即是色という発想に辿り着くのだろう。宇宙は人類を創造するために生じ、人類のために存在しているという世界観の起点ともなりそうだ。
 ここまでだと、宗教を超えられない。宗教が目指したところの宗教を超えた世界を頭に描いている必要がある。そうしないと、宗教という知恵、つまり手段に拘泥し、目的を忘れてしまうからだ。
 世界で起きている宗教にまつわる底知れぬ不幸のもとは、各宗教の各指導者に責任がある。宗教間の抗争はもちろんのこと、存在価値を発揮しないために人々を救っていないという、何もしないという不幸も含めてだ。それは集団となった時点で生じる、集団であることに起因する不幸だ。個人でスタートした教祖たちは、皆あの世で泣いていることだろう。
 各指導者は、そうした宗教集団の欠陥を改める責任を果たしていない。これは責任を果たせないような組織上の欠陥があるとしか思われない。恐らく、欠陥を自覚しつつも改められない理由は、指導者が指導者としての権威を持っていると同時に、宗教集団という組織のトップに立って集団を維持発展させるという権力をも持っているからだろうと思う。宗教の限界はそこにあると思うのだ。
 さて、三つ目は、自然な一体化だ。気づくのでもなく、取り込むのでもなく、宇宙と自然に融合した生活を送るということだ。こうした生活を確立することで、煩悩を煩悩とも思わないという対応の仕方だ。
 これは一人では無理だ。先の二つのパターンと異なり、個人や組織で為されるものではなく、そうした生活習慣や文化をもった、生活共同体で為されるものだろう。
 これら三つのパターン以外にもまだあるかもしれないが、基本的にはこの三つだろうと思う。人というものは本当に不便で厄介なものだ。何か特別なことをしないと普通には生きられないのか。これが人の普通ですと了解して、呑気に笑っていられるほどに、人生経験を積むことにしよう。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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