変な疑問183「西方浄土ってどこなの?」⑪

 どう考えても、地球を醜くしているのは生き物、特に人間だ。美しいも醜いもないけれど、こうした考え方もできないわけではない。もちろん美しい物も多く作りだした。だが、長い目で見れば、小さく作って大きく壊すの類だ。美しい物を作るのにも廃棄物が出る。美しいものが醜くならないためのメンテナンスにも廃棄物が出る。美しいものを廃棄すれば、それがそのまま廃棄物となる。醜いものには目をつぶり、臭いものには蓋をする。それが幸せに生きる知恵である間は、まだ幸福なのだろうと思う。
 だから、このように生き物が生息できそうにない遥か遠くに輝く星を「浄土」と言いたくもなり、漆黒の宇宙に灯火のように美しく輝く星々を美しいと感じたり、様々な星々に降り立ちたいと思うようになるのかもしれない。
 だが、トータルで考えれば、やはり美しいも醜いもない。時と場所、そして状況の条件を定めれば、その定め方によって美醜の境目も流動的に変動させられる。どうでもよいものだとも言えるが、生活する以上は、どこかに線を引いてその上に立ち、共通の線を持つ者同士が協力し合わねばならぬ。
 その線を引いた時点で、物事を判断する上でのさまざまな基本条件が設定されたことになり、その延長線上に美醜の境界の定まる判断の基準が生み出されるはずだ。その依って立つべき最初の一線は、根拠をもって作られたもので、そこからの延長は次第に根拠の薄いものになっていく。判断基準の設定根拠の占める比重のグラデーションが生まれるのだ。たとえば、五感にかかわるものの快不快は、判断基準の設定根拠の占める比重は相当に大きい。
 ただし、美醜は見た目ともいうように、五感の中の視覚からもたらされるものではあるが、明暗、動静、遠近、色彩、形状などのような、「基本的な感覚」とは異なる。視覚によって入手した、そうした視覚の基本的な感覚については、快不快の判断基準は十分な設定根拠がある。生理的な快不快は、元々は命にかかわる判断をしなくてはならないときの、有効な材料となる「基本的な感覚」だ。「危険」な相手か、それほどでもないか。「危険」が迫っているか、まだ余裕があるか。等々、この感覚によって、生きていく上で絶対に必要な情報を手にすることができる。これによって最優先すべき行動や、その他の優先順位の判断を下すことができる。
 ところが、その「基本的な感覚」を下敷きにしてはいるものの、行動の優先順位の判断よりも、緊急性の低い判断もたくさんありそうだ。その一つに損か得かの判断がある。美しいか醜いかの判断もあるだろう。もう少し順位の低いものには、面白いか面白くないかというレベルの判断もあるだろう。もっと順位が低いものの中には、道徳的か不道徳であるかの判断もあるだろう。このレベルの高低の順位には異論はあろうが、これは人によってまちまちなものでもある。
 さて、この人まちまちの感覚ではあるが、今回、僕の感覚に従えば、現時点での地球について言えば、人間が跳梁跋扈している以上、「穢土」ということになる。
 少なくとも僕の感覚では、星を除く宇宙空間も、地球以外の星々も、人間が存在している地球からすれば、人間がいないという意味での、美しき「浄土」だ。だが、そういう見方からすれば、別に「浄土」が「西方」である必要は全くない。
 遠くから見れば美しく輝く星々の全てが「浄土」だと感じることができないわけではない。また、最新の探査衛星から送られてくる、地球レベルと比較すれば、荒涼としているように見える星々の姿、それを目にするにつけても、荒涼としている中にも神秘的なものを感じ、それこそが、やはり「浄土」なのだろうかと思うことすらある。何も始まっていないという美しさ、あるいは、全てが終了したという美しさだ。その美しさは、まだ穢れなき美しさ、あるいは、既に灰燼と帰した美しさだ。その美しさの中に、「浄土」が見えるのは僕だけだろうか。もしかすると、それは人を寄せ付けない凜とした自然の造形に圧倒される、卑小な人間が感じてしまうところの、崇める気持ちによる幻想なのものかもしれない。
 惑星探査等で生物らしきものを発見したという情報が入ったとき、その星は汚染されていると感じる心は何だろう。これは、生き物に限らず、特別な物など、きれいさっぱり何もない星に対して、侵されていない、清らかなものと感じる心と同根のものだろう。生き物は特別な存在だとよく言われるが、宇宙に存在する以上、極めて稀なものではあっても、特別なものではないという考えは特段おかしなものではないと思うのだが。
 だから、「西方」だけが「浄土」ではないとしたい。「東西南北上下」の六方、そのほとんどが生物などいない、綺麗さっぱり何もない星々、宇宙空間のはずだ。敢えて言えば、「六方浄土」とでもなろうか。敢えて「西方」という方角を示したのには、やはり何か訳があるに違いない。それは何なのだろう。

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「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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