変な疑問184「いじめた奴の部屋で自殺しない理由」⑥

 何かしなくてはならないことの第一に、成人よりも子供のほうの罪を重くすることはどうだ。なぜなら、純粋で無垢な子供であるにもかかわらず、いじめという人権侵害を、敢えて誰はばかるということなく堂々と、あるいは逆に、敢えてこそこそと隠れて実行するからだ。従来の発想では、絶対にいじめは解決できないから、逆にしてみた。
 成人よりも、いっそう質が悪い人物でなければくなければできることではない。なぜなら子供は清らかで罪がない存在のはずだからだ。これは成人によるいじめよりも悪質だ。純粋に悪質なのだ。成人に分別が求められているのと同様に、子供には純粋さが求められて当然だ。そうした清らかな存在を、同じく清らかな存在が消し去るのだ。この所行を罪としなければ、正しくは育たないだろう。
 何が罪で何が罪でないかがわかっているのならば、成人よりも悪質だと判断されるべきなのではないだろうか。また、何が罪で何が罪でないかがわかっていないのならば、保護者の育児責任が問われなければならないのではないだろうか。
 子供だから抑えが効かず、他人を思いやる気持ちも少ないのだから、いじめても仕方ないというという論理は、現実からかけ離れていると誰もが思っているはずなのに、それが言えないのはどうしてだろう。百歩譲って成人の場合と同じ罪として認知されなくてはいけないのではないだろうか。
 罪に年齢差や性差や収入の差があってはならない。罪は万人に平等であるはずだ。ここまできて、少年法の精神を持ち出すかどうかが判定のしどころだ。少年法に対して、被害者救済法を確立しなくてはならない。救済は金銭ではない。奪われた命、奪われた青春時代、奪われた人間関係、奪われた財産、奪われた未来、奪われた精神の健康、奪われた肉体の健康、その他の諸々の奪われたものと、奪われたことによって生じた損失を、救済する法を確立しなくてはならない。
 そこに踏み込見たくないのはなぜだろう。被害があるのに、教育の場や家庭間や個人間で解決をさせようとするのはなぜだろう。罰せられることのない加害者が大手を振っていられる状況を誰が作っているのかを、訴える人々がたくさん出てこない限り、特別の法律を作って俊敏に裁かない限り、いじめの統計に表れない多くの遺体が日々出続けることになるだろう。正しく数字になっていないように感じるのは僕だけだろうか。
 数字が問題だ。その統計の取り方、調査の仕方を妥当なものにし、「いじめ関係で実はこれだけの人々が自殺していたんだ。これは殺されたのと同じだよね。」という論調が正しく主流になるようにしなくては、自殺した者が浮かばれないだろう。そして、今この時に死にたい気持ちになっている者が救われないだろう。
 いじめの被害者があまりにも孤立させられ、無防備になっているのが現状だろう。そうでなければ、死にはしないだろう。死んだ者の一部が、いじめが原因で死んだという評価を与えられているだけという有様ではないだろうか。
 子供の場合は、幼い頃の家庭教育が重要だろう。学校で、いじめは駄目ですと教え、それでいじめがなくなるなら、何の苦労もないはずだ。教えるのは、イエローカードを出すことで教えるしかないだろう。何枚出すかという問題はあるだろう。少なくともレッドカードをいきなり出して、そんなつもりではなかったという言い訳ができないのが社会であると、子供時代に思ってもらうためのイエローカードだ。もちろん、黄色いカードを作製して渡す必要はない。
 だが、子供なので、必要ならば実際のイエローカードを渡す方法も有効かもしれない。小中学生に対するレッドカードは、中退にはならないので、罰として直ぐに思い浮かぶのは、加害者の転校ぐらいだろうか。高校生は、中退だろう。逆恨みの発覚は、更に遠いところへの転校だとか、罰の例を次第に豊富にし、詳細な判断基準ができあがるのを待たねばならないかもしれない。事例は豊富なので、短期間でそれは済むだろう。ただ、それをどう整理するかは時間のかかるところだろう。
 しかし、裁くための時間が必要だ。専門の裁判制度を作ってもよいだろう。司法試験は通りやすくなって多くの人が合格している時代だから、そうしたものを早々に考えたらどうだろう。学校の中で、児童や生徒による査問委員会的なものを作るというのは、まだ日本では不向きだろうと思うのだ。
 何がどうあれ、対応が遅れれば遅れるほど、いじめの被害者が思うところの加害者の部屋で自殺をするという、悲惨な現状を目にする確率が高くなる。一度そうしたものが報道されたら、例によって広がりを見せるようになる。そうなったら、世の中はなおいっそう暗くなってしまう。加害者だと思われていた者が、本当はそうではないという可能性だってゼロではないのだ。
 第二にはどのような方法を挙げたらよいだろうか。もちろん、通常ではない方法でなければ、これまでどおりの冴えない結果しか出せずに、泣きながら無念に死んでいく人が減らないであろう。

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