突然思い出したこと187「マザー グースの教育効果」

 「マザー グース」を、今更ながらに突然思い出した。読んだことはなくても名前だけならば、何度も聞いたことがあるであろう童謡集だ。特に欧米諸国では、今でも幼少期より親しまれているらしい。伝播のスタートはイギリスだから、植民地時代には世界中に伝わったらしい。
 日本語訳ならば、北原白秋の「まざあ・ぐうす」が有名だ。問題は内容だ。幼い子供には如何なものかというものもある。現実主義的な流れが滔々と流れる中に、だからこその不条理も垣間見せる。それはそれでイギリス流の家庭教育の一環として機能しているのだろう。
 しかし、次のようなものはどうだろう。以下抜粋。(北原白秋訳の「まざあ・ぐうす」による)
 
 眼

青い眼はきれい、
灰色の眼は陰気
黒い眼は腹黒
鳶色目玉はおばァけ。

 幼子は、例によって何度も何度も繰り返し本を読んでと願う。古今東西変わらないだろう。しかし、欧米諸国の幼子と日本の幼子の決定的な違いは、この童謡が分岐点となる、人間観の形成のされ方だ。
 イギリスでも、青い目の人の比率は少ないようだ。少数派だ。その少数派を「きれい」と褒めたたえることの意味を、幼子特有の思考のフィルターを通さない受け取りをする。若い脳にダイレクトに与える情報として、この童謡は大きな意味をもつことになる。お話ではなく、童謡だから、広がり方も刻み込まれ方もますます強力なのだ。
 眼の色による分類が当然のこととして、基本的な対人的な感覚となる。青色、灰色、黒色、鳶色が、そのまま人間性の階級としての枠組みとして、幼少期に繰り返し繰り返し叩き込まれる。いや、叩き込まれるのではなく、自然に定着していく。思考のチェックを受けないレベルでの枠組みの形成は恐ろしい。 
 日本人の幼子はどうだろう。周りの人々はすべて黒い眼だ。茶色がかった人もいるから、基本的には黒で、そうなければ、最下位の鳶色というわけだ。四ランクのうちの下位二ランクしか見当たらない社会に生まれたのだと強く脳に染みわたるはずだ。もちろん、思考のチェックを受けないレベルでの枠組みの形成だ。
 本家では、階級意識、特に「陰気、腹黒、お化け」という言葉に象徴されるような差別意識の裏打ちがなされた階級意識が、土台として築かれていく。それは学校による計画的な教育とは異なる、家庭における伝統的な教育だ。植民地では、逆の教育効果が生まれるだろう。植民地にされる前から伝統的に培われてきた価値観に、「マザー グース」に組み込まれた、様々な表現から逆算されて心に落とし込まれる、イギリス流の伝統的な価値観が、ぶつかり合うのだ。平等な条件でぶつかり合うのと、植民地とされ、支配される側に貶められたところへの流れ込みとは、大いに違う効果を発揮するだろう。
 日本では、それほど多く「マザー グース」が親しまれているわけではない。植民地化されることを逃れたからだ。文化的にも、日本にはもっとガラパゴス的な意味でも強力な、伝統的価値観に溢れていたことが、バリアとなったかもしれない。
 ただし、青く輝く美しい眼に対する幻想は抱くことになっただろう。黒い眼の腹黒いというのは承服できないものとして、「マザー グース」というのは、外国のものなんだなという、冷めた意識を育てつつ。鳶色の眼の人が随分と多かったのも救いだっただろう。少数派ではないのだ。また、お化けに対しても、親しみや思い入れがある文化であるように思われるから、これも救いだったと思う。人相学、手相学、その他の占いの類も数多く、体系だったそうした説得力のありそうなものに触れているから、単純な眼の色占い的な単純なものは、遊び的なものとしてしか認識しないだろうということもあるかもしれない。
 だが、より幼い子にとってはどうか。眼の色で単純に性格を判断するなんて、程度の低いやり方だと思ってくれるだろうか。それは期待できそうにない。眼の色から発展して、ほかの際でもって差別するような、そうした人間性を持たないとは限らない。同じ童謡に親しんでいれば、自分だけの感覚ではなく、それが仲間の感覚、つまり常識的な感覚、すなわちノーチェックの基本的な部分の感覚となっていくのは間違いないだろうと思う。
 せっかくの童謡集が、好ましくないものを刷り込むためのものとならないように、批判力の成長を見ながら、親が選択的に読んであげればよいだろう。有名な作品、より良いと思う作品、より多くの人々に親しまれている作品だからこそ、敢えて見直さねばならない必要があると思うのだ。この国で生まれたものであっても、そうでなくてもだ。
 日本の童謡による教育効果というものも、時代の流れに合わせて一つ一つ分析し直す必要があるだろう。それに基づいて、目的に合う時期に、目的に合う形で、子供に触れるようにしなければならないだろう。ただし、機能食品的にだ。つまり、食事も機能食品だけではだめだという前提であるのと同じようにということだ。
 それにしても、イギリス人は、本能的に日本人を腹黒いと直感しているのだろうか。また、その直感を自覚しているのだろうか。そう考えると、なんとなく奇妙に感じる。なぜなら、僕は青い眼をきれいだと感じるからだ。

どこにいるの? について

「がんばったら疲れる。疲れたら休む。休んだらがんばる。」ということにしておこう。
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